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京都耳塚で行われた慰霊祭(1)

2009.08.20 10:37
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他国で400年、朝鮮の魂…安らかに眠れ



 
「偉大な朝鮮(チョソン、1392-1910年)の義兵よ!民衆よ!耳と鼻を切り取られてもその顔は朝鮮で輝くだろう」--。

13日、京都の耳塚を訪ねた。同地は約400年前、壬辰倭乱(文禄の役)と丁酉災乱(慶長の役)の当時に戦没した朝鮮水軍と民の耳や鼻が埋められた塚だ。当時、倭(日本)軍は塩漬けにして日本に持っていったこの「戦利品」の数によって領地と賞を受けた。耳塚に埋められた朝鮮人の耳・鼻の数だけでもおよそ12万6000人に達するという。

敵の手にかかって死に、敵の地に埋められたこれらの魂が400年が過ぎたからといって安らかに眠れるだろうか。この日「民族の魂を生かす国民運動本部」(理事長:ハン・ヤンウォン)はそれらの魂を称える慰霊祭を行った。

民族宗教協議会の会長も務めるハン理事長は「遠くは壬辰倭乱、近くは植民支配時代に至るまで韓日関係は戦争と対立の連続だった。それは武力と戦争に頼って天下を得ようとする西勢東漸(西欧の東洋進出)時代の延長線上にあった。しかし、いまや東勢西漸の時代に立ち入りつつある」とし「歴史の中で悲しむ英霊の恨みを晴らし、新たな未来を迎えるために慰霊祭を行う」と話した。

これまでの耳塚の慰霊祭はみすぼらしいものだった。京都に住む在日韓国人ら数人が集まり、質素に祭事を行うくらいだった。しかし今回は異なった。大阪と京都から在日韓国人およそ140人が出席した。韓国からも追慕公演を行うためのチームが同地を訪れた。歌手のヨム・キョンエさんは耳塚の前で韓国伝統音楽の公演「パンソリ」で追慕の詩をうたった。

「敵が退いた故国の地を二度と踏むことができないまま、400年間も他国の地に埋められたその恨みを言葉では言いあらわせない…」。胸がちぎれそうな歌に出席者は涙ぐんだ。続いて厄払いの踊りが公演された。高さ約7メートルの大きな耳塚の前で、白いチョゴリ(韓国伝統の上着)と白のスカート、白の布がともにはためき、舞った。

南原(ナムウォン)国立民俗国楽院の舞踊家らは「昇天舞」を踊った。魂を呼び、慰め、再び天に舞い上がる「鎮魂舞」であった。厄払いの踊りを踊る際は曇った空からしばらくの間、雨が降る場面もあった。出席者らは「これが英霊が流す鎮魂の涙と信じたい」と話した。


京都耳塚で行われた慰霊祭(2)

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