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「エール大、日本学・中国学あるが韓国学はなく…ぜひ必要」(2)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2013.07.03 16:09
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彼女は、米国で韓国学が成長する過程を導き見守った生き証人だ。キム教授は延世(ヨンセ)大学で英文学修士を取った後、76年に夫(延世大学連合神学大学院のチェ・ジェゴン研究教授)と共に留学の道に進んだ。カナダのトロント大とエール大でそれぞれ言語学修・博士学位を取得した。87~89年はハーバード大で韓国語講師として過ごし、90年に母校であるエール大に移った。恩師だったサミュエル・マーティン教授からの要請からだった。マーティン教授は“エール表記法”という韓国語ローマ字表記法を開発した学者だ。当時エール大の在米同胞学生会(KASY)が8年間粘り強く運動を続けて韓国学課程が29年ぶりに再びできたのだった。キム教授は「初めての正式講義日が思い出される」と言い、「80人を超える学生で講義室が満杯になった。本当に感激だった」と話した。その時、彼女が韓国語を教えた場面はニューヨークタイムズなど米国メディアに紹介されたりもした。しかしそれ以降、関心が弱まり韓国語講義は主に在米同胞学生たちが聞くことになった。

キム教授は「80年代までだけでも米国の韓国学の学者のうち、もともと日本・中国学専攻の出身者が多かった」として「そのために韓国学は日本学や中国学の付属課程だった時もあった」と話した。「米国の大学で韓国学課程や専攻をつくろうと言えば『なぜ必要もないのに金を使うのか』という反対意見が多数だった」として「さらには『韓国の文物は全て中国から由来したものなのになぜ韓国学を学ぶのか』と尋ねる米国人教授もいた」と回想した。

 
◆97年外国為替危機克服後、再び韓国語ブーム

キム教授によれば88年のソウルオリンピックを機に米国で韓国への関心が高まった。韓国が97年外国為替危機を克服して経済成長しながら韓国学の人気もどんどん上がっていったということだ。彼女は「2002年からは基礎韓国語講義を聞こうとする非韓国語圏(non-heritage)の学生たちが集まってきた。それ以前までは基礎班の学生たちが10人を超えられなかったのに、20人以上になって班を2つに分けた」と話した。韓流の影響もあった。「私が聞いたこともない韓国のK-POPアイドルスターの名前を次々と覚える米国学生たちもいる。中国・東南アジアの学生たちは『韓国ドラマを見た』と言いながら講義を申請してきた」というのがキム教授の説明だ。現在、米国で韓国語を教える大学は約90校、高校は約60校に達している。

彼女が育てた非韓国語圏の学生たちの実力はすごい。「ある学生はソウルでの語学研修の時に体験したことを文に書いた。夜遅く韓国人ガールフレンドを家に連れていこうと地下鉄に乗ったところ、飲酒者が文句をつけてきたそうだ。このことを契機に韓国と米国の関係を歴史・社会・政治的観点で解いていった」。キム教授の話だ。『朝鮮王朝実録』をさらさらと読んだり80年代の韓国の賃金問題を学んだりする学生もいるそうだ。キム教授は「例にあげた3人の学生は皆、生まれて初めて大学で韓国語を学んだケース」と紹介した。それと共に「韓国では小学校から英語を習うのに、多くの人が大きくなっても英語をもてあましている」としながら「英語学習法が正しく行われたのか確かめてみなければならない」と話した。彼女は「会話だけでは限界がある。文法と読解も重要だ」と話した。

(中央SUNDAY第329号)


「エール大、日本学・中国学あるが韓国学はなく…ぜひ必要」(1)

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