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韓国映画『アイ・キャン・スピーク』、ようやく出会えたウェルメイド「慰安婦」映画(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.10.17 09:53
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観客にとってオクブンは区役所の職員が恐れる「苦情王」として、再開発建設業者と対抗して隣の人々の権利を守ろうとする闘士として、英語の勉強に熱心な晩学のおばあさんとして近付いてくる。この効果は意味深長だ。彼女は帝国主義の暴力や民族共同体の傷痕を象徴する前に、私たちと同じように日常を生きていく生活人であり、私たちより熱心に毎日を送る成熟した市民だ。もしかしたら、私たちはその間、慰安婦被害者を犠牲者として慰めると言いながらも、むしろそれを例外的なものとして排除してきたかもしれないと気付かせる。

不幸な過去が明らかになった後にも映画はオクブンが同情と憐憫の対象になることに抵抗する。日本の蛮行を告発する米国法廷でも同じだ。この場面が圧倒的であるのは単に日本のごり押し主張を世界に告発した勝利の記憶のためではないだろう。病気にかかった友人が英語で書いた演説文を晩学生の情熱で熟知した発音で読み上げた時、会議場にきちんと鳴り響く英単語一つひとつの活力は告発のレベルを超えてある能動的な連帯の場を生き生きと構築する。この映画の感動は過去の不幸に陥没されず、現在の生活感覚で自身の意見を述べていくある女性主体のダイナミックな人生への意志、成熟した市民意識、積極的な働きかけから出てくる。

 
個人的に「1000万映画」になるように願ったが、400万人を超えるとは期待できない。『アイ・キャン・スピーク』が完ぺきだと言っているわけではない。重要なのはこの映画を通じて初めて韓国の商業映画は「慰安婦」問題を再現する最低限の資格を備えることになったということだ。同じ素材の映画は今後も作られるだろう。日本政府を相手取って起こす法廷闘争をモチーフにした『Her Story』(仮題、ミン・ギュドン監督)など、実際にもすでに何本は制作に入ったという。

私たちは『アイ・キャン・スピーク』を通じて暴力的なイメージがなくても十分に公憤を覚えることができ、悲壮な雰囲気ではなくても十分に感動的であることも可能だという事実を確認した。「慰安婦」は記念すべき剥製も、興味深い犠牲者でもない。その前に彼女たちは生活人であり隣人だ。今後の映画がこの事実だけは忘れないでほしい。

パク・ウソン/映画評論家


韓国映画『アイ・キャン・スピーク』、ようやく出会えたウェルメイド「慰安婦」映画(1)

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    2017.10.17 09:53
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    (上)『鬼郷』に続き「少女」の悲劇に集中した『雪道』(2017・イ・ナジョン監督)(写真=各映画会社)。(下)ニューヨーク韓国人会館に設置された平和の少女像。
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