韓国映画『アイ・キャン・スピーク』、ようやく出会えたウェルメイド「慰安婦」映画(1)

韓国映画『アイ・キャン・スピーク』、ようやく出会えたウェルメイド「慰安婦」映画(1)

2017年10月17日09時51分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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(上)観客300万人を超えた映画『アイ・キャン・スピーク』(キム・ヒョンソク監督)。女優ナ・ムニ、俳優イ・ジェフンの演技の相性が良い。(下)写真2=2016年映画『鬼郷』(チョ・ジョンネ監督)。慰安婦を題材にした映画で、大きく興行した。(写真=各映画会社)
  キム・ヒョンソク監督の映画『アイ・キャン・スピーク』が話題だ。観客300万人を超えた。英語を習いたいオクブン(ナ・ムニ扮)の隠された理由に関する話だ。「慰安婦」を題材にしたが、かつて重く扱われた映画とは異なり、女優ナ・ムニの卓越した自然なコメディ演技、人間味あふれる共同体の価値、連帯と勝利の記憶を抱くヒューマンドラマが重ねられて「慰安婦」を題材にした新しい方式の韓国映画として完成された。

  実際、「慰安婦」問題を映画で再現するのは容易なことではない。そこには帝国主義、植民主義、戦争犯罪という世界史的外縁とその反対給付として被植民民族共同体の傷痕が前提になる。被植民の中でも社会的弱者である女性に振舞われた暴力ということから状況はさらに複雑だ。これに謝罪どころか、加害の痕跡を消すことに汲々としている日本政府の2次加害とこれにまともに対応できていない韓国政府の無能さが付け加える。世界史的問題であり、過去、現在、未来が重なった民族的課題であり、何より女性人権の問題でもあるこの複雑な絡み合いを韓国映画はどのように解きほぐすべきか。この質問に答えるためにも『アイ・キャン・スピーク』はもう少し吟味される必要がある。

  「慰安婦」問題を扱った映画が本格的に登場し始めたきっかけに映画『鬼郷』がある。興行の面で大きく成功したが、この映画には多少問題がある。映画を支えるのは被害者女性を守ることができなかった男性の償いの意識だ。このため、映画はあまりにも多くのことを逃し、増してや危険に陥った。『鬼郷』はそもそも女性の傷に関心がない。彼女たちの話は映画の中に繊細に積み重なるのではなく、姉妹愛、故郷に対する懐かしさ、「アリラン」のような映画外側の抽象的な観念にとらわれている。より一層深刻なのは被害者に加えられた暴力を単にイメージのレベルで誇示することに汲々としているということだ。スクリーンは性的暴力のイメージ、脱がれて殴られる体、すさまじい表情で満たされる。「慰安婦」という複雑な問題を男性の償いの意識に頼って慰めるなら、むしろ男性化したのぞき見の視線に被害者の苦痛を露出させることだ。

  一方、『アイ・キャン・スピーク』は全く違う道を歩む。これには女性の苦痛を展示するかのようなただ一つの苛虐的なイメージもない。代わりに「慰安婦」被害者の人生を自生的に立体化することに力を注ぐ。いや、オクブンは「慰安婦」である前に一人の成熟した女性であり市民だ。このような観点から「慰安婦」被害者としての過去が映画の中盤をはるかに過ぎて一つの反転のように与えられるという事実に注目する必要がある。

韓国映画『アイ・キャン・スピーク』、ようやく出会えたウェルメイド「慰安婦」映画(2)
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