【コラム】アルファ碁に教えた一手=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.19 12:48
それは世紀のドラマだった。1945年に日本に投下された原子爆弾が20世紀文明の象徴なら、アルファ碁と李世ドル(イ・セドル)九段の囲碁接戦は21世紀文明を開幕するファンファーレだった。囲碁は相手の血を要求しない。最後の対局を終えた李世ドルは「有終の美を飾りたかったが残念だ」と語った。前日の勝利した時とは違った沈鬱な表情だった。違う。当初から焦点は誰が勝つのかではなく、人工知能がどれほどやるのかという点にあった。グーグル傘下のディープマインドが開発した人工知能が世界囲碁界のトップ級棋士に勝ったという事実も驚くが、冷静になってみると、勝つ可能性が非常に低いそのゲームで人間の李世ドルが1勝したという事実にも驚く。
李世ドルは有終の美を飾った。それは21世紀文明の荘厳な出発を知らせた世紀的な大事件だった。人間の脳細胞(ニューロン)は約1000億個、その接続のシナプス(synapse)は100兆個に達する。ところが中間節が830万個にすぎないアルファ碁が勝ったという事実は、人間の脳に占める計算能力は非常に小さく、残りは感情・理性・感じという意味だ。大接戦の観戦ポイントはそれぞれ異なった。工学者はアルファ碁が立派にやり遂げることを自分も気付かないうちに念願していた。科学の新しい地平が開かれるためだ。逆に人文学者は人間の李世ドルがあの無心で傲慢な機械を無惨に屈服させることを望んだ。プロ棋士は囲碁界のプライドを守ることを渇望した。ある解説者は第4局で勝利すると感極まって涙を見せた。社会学者である筆者はアルファ碁の表情がどうかを意味もなく考えてみたが、結局は浮かび上がらなかった。高次元アルゴリズムでプログラミングされた演算機械にすぎなかった。
第4局の最後の画面に出てきた言葉、「アルファ碁は放棄する(AlphaGo resigns)」という表現に筆者は注目した。それは一人称ではなく三人称だった。敗者の犠牲を要求する「屈服する(surrender)」でもなかった。李世ドルが第3局までの敗北で当惑・諦念・恐れのような“変化無双”の表情を見せたのとは対照的に、アルファ碁は冷や汗も流さなかった。グーグルのデミス・ハサビスと彼のスタッフが代わりに当惑した。アルファ碁は複合的な感情を演出する主体ではないのだ。そのために三人称であったし、20世紀の暴力的単語「屈服する」ではなかった。第3局までの敗北が醸したその「ぞっとするような感じ」はしたがって根拠がない。李世ドルの第4局の78手目がベールに包まれた無意識の空間で繰り出された天才の妙手だったように、アルファ碁は計算能力の無限の進歩が可能だという事実を我々に悟らせた。