【コラム】セウォル号以降も変わったものがない=韓国(2)
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2016.08.16 09:13
事故よりも重要なことは収拾過程だ。それより重要なのが事後措置だ。そのような過程を通じて少しでもより良くなることができる。未来世代により良い社会環境を譲り渡すことができる。しかし私たちはその過程を結論なき責任攻防で終えるのが常だ。
最初に、私たちは大きな問題だけを話す。本質が重要だという。その通りだ。だが、それをあまりにも強調した挙げ句に具体的かつ実質的なことを疎かにする傾向がある。政府政策のような大層な問題は指摘するが、具体的な安全規則は無視する。徹底した調査と記録を残し、その結果をシステムとして作り出す日本を見れば話す言葉もない。
2番目、「犠牲の羊」を作って攻撃するという彼の指摘に「しまった」と思った。安全事故を見ると、私たちの姿が映る。地下鉄やバスに我先に乗ろうとしたことはないか。無理に割り込み、ほかの人が割り込むのを邪魔しはしなかったか。振り返ってみれば事故で自分自身の恥ずべき姿を見る場合が多い。誰かが「犠牲の羊」を前面に出せば自分は気楽になる。「そうだ、私の誤ちではない。みなあの人のせいだ」。しかしその犠牲の羊が消えたらその時はどう整理するのかを忘れる。まさに私たちが直すべきこととだ。