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日本の学者たちも「任那日本府はなかった」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.03.23 08:46
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韓日歴史共同委員会は2002年10月、両国間の歴史認識の違いを減らそうという韓日両国首脳の合意によって発足した。2005年5月、3年間の1期活動を終えて報告書を出し、2007年6月に2期活動に入ってから2年9カ月ぶりに2期報告書を出すことになった。2期の研究陣は過去の歴史歪曲で批判を受けている扶桑社の教科書を含めた日本歴史教科書と韓国の国定教科書を共同研究することで合意した。日本強占期の朝鮮人強制連行や従軍慰安婦など過去の歴史もすべて含まれ、両国専門家15人が出席した。

チョ委員長は「歴史的主張の真偽だけを見た1期と違って今回の2期では両国の教科書に現われている具体的な問題を扱った点で発展があった」と強調した。

 
続いて「両国学者たちが合意したとしても(日本の出版社が出版した)検認定日本教科書は一斉に変わらない上、日本の学者たちが昔の学説になってしまった(任那日本府説などの)ことを引用すれば強制する方法がない」とし「良識ある日本の学者たちは “そうではない”と分かるだけに今後も問題を提起し、説得しなければならない」と強調した。

◆任那日本府説=4世紀中葉~6世紀中葉200年間で日本の大和政権が韓半島南部地域に進出し、百済、新羅、伽揶を支配し、特に伽揶には日本府という機関を置いて6世紀中葉まで直接支配したという説。




日本の学者たちも「任那日本府はなかった」(1)

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