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【噴水台】独立有功者、金子文子氏

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.11.23 10:23
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「その時ただ目に映っただけの事件が今はこの上なく大きな反抗の根となり私の胸の中に深く刻まれています。朝鮮生活の間に見聞きしたこと私は朝鮮人の日本帝国主義に対するあらゆる反抗運動に同情心を持つようになりました」。

1923年夏、当時20歳だった日本人女性、金子文子氏は東京で日本人の恩師にこのような手紙を送った。10代を忠清北道清州市(チュンチョンブクド・チョンジュシ)で過ごして見て感じたことを記した手紙だった。彼女は日本人の地主や高利貸しが韓国人を虐待して収奪する場面を数多く目撃したし、3・1運動もまた直接目にした。

 
日本に帰ってきた金子氏は日本警察が「要視察甲号」と分類した朴烈(パク・ヨル)医師と同居し、無政府主義を標ぼうした雑誌を発刊した。高麗人参を売って雑誌発刊の足しにしたりもした。高麗人参の行商として使った名前は「朝鮮人参商・朴文子(パク・ムンジャ)」であった。朴医師の苗字に自身の名前を付けたものだった。

金子氏と朴医師は1923年9月に日本警察に捕まった。皇太子の結婚式に爆弾テロを謀ったという「大逆罪」で起訴された。法廷で金子氏は「朝鮮の独立運動を考えた時、他人事とは思えないほどの感激が胸にほとばしった」と証言した。26年3月23日に朴医師と獄中結婚し、2日後に死刑宣告を受けた。すぐに天皇が無期懲役に減刑したが、4カ月後に監獄で首を吊った。朴医師の故郷の慶尚北道聞慶市(キョンサンブクド・ムンギョンシ)にある金子氏の墓碑には次のような内容が刻まれている。「(裁判で)わずかの動揺もなく天皇有害論、弱小民族解放、韓国独立の正当性、人間の自由を一貫して主張した。死刑宣告を受けると女史は万歳を叫んだ」。

金子氏は先週末「殉国先烈の日」記念式典で建国勲章愛国章を追叙され独立有功者になった。89年に夫の朴医師が独立有功者になってから29年後のことになる。日本人としては幾人もの独立烈士を弁護した布施辰治氏(2004年独立有功者褒賞)に続き2人目だ。

国家報勲処の金子氏の公的調書には無政府主義雑誌を発刊したことと大逆罪で起訴されて死刑の宣告を受け、獄中で殉国したという内容程度が簡略に記されている。金子氏はかえって日本で多く研究されている。歴史学者の山田昭次名誉教授(立教大学)は著書『金子文子 自己・天皇制国家・朝鮮人』の最後にこのように記した。「文子は朝鮮人に対する謝罪も、戦後補償もすっきりと処理できない今日の日本をどのように見ているだろうか」。ふと、山田教授と同じ思いが浮んだ。

クォン・ヒョクジュ/論説委員

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