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【コラム】セウォル号以降も変わったものがない=韓国(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2016.08.16 09:13
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猛暑だ。昼食時間、少し歩くだけでも下着がぐっしょりとぬれる。これほど焼きつけるような陽射しのもと先月29日、4歳の子供が8時間通学バスに閉じ込められた事故があった。発見当時、子供の体温が42度だったという。同じ光州(クァンジュ)地域ですでに6月に保育園で6歳園児が、4月には特殊学校7歳の生徒が通学バスに長時間放置されて負傷し亡くなる事件が起こった後だ。

10日には保育園で後進してきた通学車両に2歳園児がはねられ亡くなった。数日の間に中国人観光客38人を乗せたバスが坂道を転がり落ちて建物に突っ込み、ブレーキがうまくきかない地域バスが滑って歩行者を襲う事故も起きた。それだけではない。この頃テレビに紹介されるドライブレコーダー映像を見れば、さまざまな無謀運転、あきれるような事故が続く。また5月に地下鉄九宜(クイ)駅では若い修理工がスクリーンドアに挟まれて亡くなった。昨年8月江南(カンナム)駅、2013年1月聖水(ソンス)駅で経験したこととちょうど同じ事故だ。

なぜそうなのか。すぐそばで起こった悲劇的な事故に涙を流しても、すぐに似たような行動をする。ある日本の外交官はこの問題を辛らつに指摘した。2年前に駐韓日本公使として勤めて駐ドバイ日本総領事に異動した道上尚史氏の『韓国人だけが知らない日本と中国』だ。彼の主張には筆者が受け入れにくい部分が多い。誤解もあり日本人の視点で見た偏見もあるようだ。それにもかかわらず一部の彼の指摘は骨身にしみる。長くなるが、いくつかの部分を引用する。

 
「今の韓国の姿はどうか?…地下鉄では乗下車が終わる前にドアが閉められたり高齢者がドアに挟まれたりするのを毎週見かける。明け方や深夜にあちこちで赤信号を無視して大変なスピードで走るソウルのタクシー。これも非常に危険だ。信号という規則を信頼している歩行者は生命を奪われる危険がある。

私が家族と共にソウル龍山区(ヨンサング)に住んでいた2000年。インドのマンホールの蓋が開けられているのに周囲に垣根どころか注意表示板もなかった。高齢者や子供はもちろん誰にとっても危険な状況なのに、そのまま放置しておいたのだ。信じられないことだった。三豊デパートと聖水大橋事故が思い浮かんだ。

小さいけれども当然従わなければならない規則を無視していたら大型事故につながる。セウォル号事故の後にもコンサート会場事故で死傷者が出るかと思えば、新設ショッピングモールに安全上の問題が多いという便りなどがもれなくニュースに登場する。

…安全についても事故が起きれば「犠牲の羊」攻撃に向かうが、普段は空気によって適当に埋まっていく似たような問題が少なくない」(彼は『空気』をその社会の支配的な世論、雰囲気という意で使った)。

道上氏は東京大法学部を出たエリートだ。ソウル大学(1985~86年)と米ハーバード大学でそれぞれ修士学位を受け、2度にわたり在韓日本大使館に勤めた。1998~2000年に一等書記官・参事官、2007~2009年に公報文化院長・総括公使として仕事をした。韓国人の考えが被害意識にとらわれた開発途上国型だという道上氏の指摘は侮辱的という感じまで抱かせる。だが事故が起これば右往左往して感情を爆発させては、反省も教訓もなしに必ず同じ事故を繰り返す現実だけは認めなければならない。(中央SUNDAY第492号)


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