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米国の悪党を倒す日本の英雄・力道山 「朝鮮人」カミングアウト後に疑問死(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.07.23 17:19
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北朝鮮で「リョクトサン」に対する敬意は想像以上だ。北朝鮮で力道山が知られたのは1960年代、在日同胞の北送事業で北朝鮮に渡った人々の口と映画を通じてだ。金日成(キム・イルソン)主席は「米帝」を懲らしめて「日帝」にも朝鮮民族の魂を込めたチョップを見せた力道山を高く評価するとし、「烈士証」を授与した。力道山は金日成主席の誕生日にベンツを贈り、1964年東京オリンピック(五輪)当時に北朝鮮選手団の滞在費用を負担すると話した。

自分の民族的アイデンティティーを表した1963年の冬、力道山は疑問の死を迎える。力道山は東京赤坂のナイトクラブで暴力団員と争い、刃物で刺された。幸い、傷が深くなく手術は終わったが、腹膜炎で2次手術を受けた後、息を引き取った。

 
力道山の門下生のうち頭角を現したレスラーはアントニオ猪木、金一、ジャイアント馬場だった。特に引退後に政治家になった猪木氏は師匠に対する敬意が強く、32回も北朝鮮を訪問し、北朝鮮政・官界の人々と親しい関係を築いた。猪木氏の主導で作ったイベントが1989年の平壌(ピョンヤン)世界青年学生祝典だ。当時、韓国外国語大学の林ス卿(イム・スギョン)氏が参加し、金日成主席に会った。

6月、東京参議院議員会館で猪木氏に会い、力道山の死について疑問点を尋ねた。猪木氏は「師匠は酒癖が良い方ではなく、よくトラブルがあった。その日もトイレに行って肩がぶつかった暴力団員を殴って事件が発生した。殴り倒す過程で暴力団員が出したナイフで刺されたが、傷は深くないため大丈夫だと思っていたという」と話した。

猪木氏によると、力道山はあまりにも力が強かったため少し動いても縫った部分が開いてしまい、足を抑えておかなければいけなかったという。力道山の死については今でも多くの疑惑と陰謀説があると話すと、猪木氏はこう語った。「刃物で刺された翌日に入院した病院が産婦人科だったため、外科的な措置が十分でなかった。血圧が落ちた時に使う薬もなかった。また、手術後にガスが大腸を通って体外に排出されなければいけなかったが、その前にお茶かジュースを飲んだのが決定的な死因になった。それを誰かが飲ませたという話もある」。

猪木氏に会う前日、東京の池上本門寺にある力道山の墓に行った。腕組みをした力道山の青銅像があった。そこで会った日本人の老紳士はこう語った。「力道山は私たちのヒーローだった」。


米国の悪党を倒す日本の英雄・力道山 「朝鮮人」カミングアウト後に疑問死(1)

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    米国の悪党を倒す日本の英雄・力道山 「朝鮮人」カミングアウト後に疑問死(2)

    2018.07.23 17:19
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    2006年2月に日本で会った力道山の夫人、田中敬子さん、頭突き王の金一(キム・イル、大木金太郎)さん、アントニオ猪木議員。
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