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<平昌五輪>0対13→9対1 17年間で日本を越えた韓国パラアイスホッケー

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.01.11 15:04
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9日、長野で行われたジャパンパラアイスホッケーチャンピオンシップ予選第2戦。韓国が9-1で日本に大勝した。(写真=大韓障害者アイスホッケー協会)
0-13。2001年にパラアイスホッケー韓国代表が日本と初めて対戦した時のスコアだ。しかし17年が過ぎた現在、両国パラアイスホッケー代表の位置は正反対だ。平昌(ピョンチャン)パラリンピックを控えて行われた対戦で、韓国が9-1で日本に大勝した。9日に長野で行われた2018ジャパンパラアイスホッケーチャンピオンシップでだ。

韓国は8人の選手が9得点した。「氷盤のメッシ」と呼ばれるチョン・スンファンは1得点4アシストと、エースにふさわしい活躍を見せた。この日の勝利が貴重であるのは、パラアイスホッケーを伝えた日本を相手に大勝したからだ。大会初日の8日にチェコを4-1で破った韓国は、10日の試合ではシュートアウトの末、ノルウェーに3-2で勝ち、予選を3戦全勝で終えた。

 
韓国パラアイスホッケーの父は故イ・ソングン氏。延世大アイスホッケー選手だったイ氏は脊椎を負傷した後、日本でパラアイスホッケーに初めて接した。パラアイスホッケーは刃が2枚付いたスレッジというソリに乗るためアイススレッジホッケーとも呼ばれる。片方にピック(pick)、反対側にブレードが付いたスティックを使う。ピックで氷を突いて動き、ブレードでパックを操るため、非障害者の競技に劣らずスピードがあり力強い。パックの速度は時速100キロを超える。

イ・ソングン氏は1998年、日本チームを招待した。そして他の種目のスポーツを経験した障害者選手を集めた。日本選手団が寄贈した1台のソリを土台に最初の韓国クラブチーム、延世イーグルスが結成された。2001年に死去した故イ・ソングン監督にちなんで全国パラアイスホッケー大会の名称も「イ・ソングン杯」だ。

韓国は2001年、日本で初めての国家代表試合を行った。日本に第1ピリオドだけで6点を奪われ、結局0-13で敗れた。当時ゴールキーパーだったパク・ジョンチョル大韓障害者体育会大会支援部長は「目まぐるしくパックが飛んできた。ハーフラインを一度も越えられず、シュートを防ぐことしかしていない」と振り返った。その後の2回の対戦で0-8、0-5と敗れた韓国は2005年に行われた2006トリノパラリンピック予選でも0-3で負けた。今でも代表選手として活躍中のハン・ミンス(48、江原道庁)は「選手たちは『よくやった』と言いながら励まし合っていたが、悔しかった。勝てるのに負けた。ヘルメットをかぶったまま涙を流した」と語った。ハン・ミンスは「以前は我々が弱かったので相手は全力でしないという感じだったが、今回、日本を9-1で破り、世の中が変わったと感じた」と話した。

韓国パラアイスホッケーが急成長したのは2006年に江原道庁チームが結成されたからだ。平昌オリンピック・パラリンピック招致を目指しながら江原道がチームを設立し、職業選手が出てきた。現在の代表選手はほとんど江原道庁所属だ。2010バンクーバー(6位)、2014ソチパラリンピック(7位)にも出場した韓国は、世界的なチームとも競うほどレベルが上がった。ソチパラリンピックではプーチン露大統領が観戦する中、開催国で準優勝したロシアに勝ったりもした。昨年4月に江陵でテストイベントとして開催された世界選手権でもカナダ(世界ランキング1位)と米国(2位)に続いて銅メダルを獲得した。

平昌パラリンピックに出場するパラアイスホッケー韓国代表の目標は史上初のメダル獲得だ。可能性は十分にある。8カ国が出場するパラリンピックで韓国は米国、チェコ(9位)、日本(10位)と同じB組に入っている。チェコと日本に勝てば組2位まで与えられる準決勝進出が可能だ。世界最強のカナダと米国を倒すのは難しいが、銅メダルは十分に実現可能な目標だ。

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