【グローバルアイ】朝鮮通信使とシャトル外交=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.11.14 13:33
朝鮮王朝が日本の江戸幕府に12回にわたり派遣した外交使節団、朝鮮通信使の行程は非常に長かった。漢城(ハンソン)と江戸の陸路と航路の4000キロを行き来するのに半年以上もかかった。使節の規模も300-500人だった。対馬藩に到着した後には1500人ほどの日本人が案内・警護を引き受けた。行列は壮観だった。鎖国体制の江戸時代に通信使は異国文化の窓だった。道沿いには人々が集まった。宿舎では筆談による僧侶・文人・画家の交流があった。
幕府の使節接待は丁重だった。路程の45カ所に客館を用意した。その中で玄海灘の周囲6キロの小さな島、相島(福岡県)は特記に値する。使節は11回(往復で22回)ここに泊まった。藩側はそのたびに客館を新築した。41棟を建てたこともあった。大阪・京都から食器・食材・特産品も運んだ。通信使の製述官(記録官)の申維翰(シン・ユハン)は海遊録で「使節の一行は一日に鶏300羽、卵2000個を供給された」と書いている。通信使の1回の日本往来費用は幕府の1年間の予算と同じだったという。