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【コラム】安全な国、原則と基本がつくる=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.05.16 14:16
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今日の大韓民国は、驚くほどの経済発展を遂げ、世界から認められ、賛辞を受けている。しかし高度な経済発展とは違い、韓国社会の内部では、不正や不道徳を傍観したり慣行と見なしてきた側面がなくはない。40-50年間の圧縮成長の後遺症といえるだろうか。過程の道徳性と合理性は欠如し、成果主義に重点を置いてきたため、不正が積み重なってきた。その後遺症が時々、大型惨事を招き、大きな衝撃と波紋を起こす。人災と判明する惨事を迎える度に、政府は深い反省とともに再発防止の覚悟を固め、専門家までが出てきて発展的な代案を提示したりした。しかし空念仏にすぎなかったことが、今回の旅客船「セウォル号」惨事を通じて改めて確認された。

自由と自律には強い責任が伴う。そうでなければ、放縦と無責任、利己主義が猛威を振るい、組織と社会の雰囲気を深刻に害する。乗客の安全は捨てて自分たちの安全ばかり考えた船長と船員、目の前の利益に執着して企業倫理が崩れた船主と企業、黙認し合って事故の原因をもたらした監督当局と関連協会、大型災難にもかかわらずきちんと対応せず信頼を失った災害対策機関、知る権利を口実に扇情的かつ刺激的な報道で公憤を招いた一部のメディア、匿名に隠れてデマを広めた一部のネットユーザー。これらすべてが、今回のセウォル号惨事で確認された韓国社会の恥ずかしい素顔だ。

 
犠牲者の遺族の苦痛と心情は言葉では言い表せないものだろう。こうした姿を見守らなければならない国民の心も惨めだ。

セウォル号の惨事の責任は、その対象が誰であれ、当然、峻厳な法の基準を突きつけなければならない。同時に、私たち全員が、なぜこうした事故が起きたのかについて一度は必ず省みなければならない。その間、慣行や因習という名の下、私たち自身の安易さと無責任な日常が悲劇につながることはなかっただろうか。こうした点で真の省察とともに、国家改革レベルの国民安全システムの再構成、社会の積弊の清算に向けた意識改革などが切実に求められる時期だ。過去と同じように今回もきっかけを逃せば、大韓民国は国民の安全に関する限り希望がない国になってしまうだろう。

セウォル号の惨事は私たちに大きな教訓を残した。原則と基本を守ることがなぜ重要かを改めて悟らせた。いくら完ぺきな防災システムを備えても、これを運用する人たちが正しく活用できなければ意味がない。私たちと次世代の安全と幸せのために、今からでも原則と基本に忠実で、道徳性を備える努力しなければならない。もう一度、国民の力と心を合わせ、セウォル号の犠牲者の遺族の苦痛を分担しながら、みんなが幸せで安全な社会を作っていくべき時だ。

尹洪根(ユン・ホングン)正しい生活運動中央会長/ジェネシスBBQグループ会長

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