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「ご旅行でいらっしゃった明仁天皇、高句麗がいつ・なぜ滅びたかお尋ねに」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.11.14 11:12
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高麗神社の裏手にある高麗家住宅は約400年前に建てられたもので、高麗神社の宮司が代々暮らしている。
--天皇は主にどのような部分に関心を示されたか。

「基本的に高麗郡についての質問と百済・高句麗人に対する質問が中心だった。日本の古代史の中で、韓半島から渡ってきた渡来人がどのような仕事につき、どのような影響を及ぼしたのかとても興味がおありのようだと感じた。明仁天皇はもともと魚類学博士であり学者でいらっしゃる。今回も高麗神社にいらっしゃる一週間前に渡来文化を研究する学者を呼んで個別授業を受けられたと聞いている。ご存じないからお尋ねになるというよりはすでにご存知のことをご自身で確認されようとしているようだった」

 
--具体的にどのような質問があったか。

「たとえば、高句麗はいつ、なぜ滅びたのか、また、日本に百済人と高句麗人のうちどちらが多かったかなどをお尋ねになられた。美智子皇后は高句麗人がどのような文化をもたらしたのかにご興味をお持ちのようだった。今、実物で確認できるのは器だ。高麗地域からは当時の器が多く発掘されて渡来人の影響によって陶器と窯文化が発達したことを証明した」

--韓国に訪問したいとのお言葉はあったか。

「天皇が直接そのようなお話をしなかったので、その気持ちまでははかりかねた。だが、天皇が韓国にご関心をお持ちになったのが最近数年間のことではないと思う。天皇が高麗神社を訪問されたことも、ある特別な契機があったからとか、現在の韓半島(朝鮮半島)との関係をお考えになっただけではないと思う。天皇は日本で起きることを見聞きして自分のものとされる存在だ。当然、日本に来た渡来人について早くから関心をお持ちになっていたことと思う」

--(インタビューをした応接間には次の天皇である皇太子徳仁親王の写真も掛けられていた)皇太子徳仁親王も高麗神社を訪問したことは。

「1971年、高校1年生の時にいらっしゃった。徳仁親王は歴史をご研究されている。高麗神社に対して当然興味がおありで、神社の裏手にある高麗家住宅が見たくて来たとおっしゃった。当時、先祖の生活像や由緒のある宝物などに対する説明をお聞きになったそうだ」

--高麗神社は日本人にとってどのような意味を持つのか。

「高麗神社はもともと当地の神を祀る場所だ。高麗神社の存在は知っているが、どのような経緯で存在することになったのかなどについては、むしろ忘れて過ごすほど日常化された存在だった。昨年、建郡1300周年を迎えてさまざまなイベントを進めながら、高麗神社と先祖について改めて考える契機になった」

--韓日関係があまり良くない状況で高麗神社が持つ意味があるだろうか。

「高麗神社には学生・学者・外交官など幅広い分野の人々が訪ねてくる。韓日関係という大きな意味についてはよく分からないが、韓国と日本は常に多くの問題を抱えながらもいつも関係を持続してきた。韓国人と日本人は必ずどこかでつながっている。来年が韓日パートナーシップ20周年だが、パートナーシップは良心でつながるものだ。今後も韓国の良心と日本の良心はつながっていくと思う」


「ご旅行でいらっしゃった明仁天皇、高句麗がいつ・なぜ滅びたかお尋ねに」(1)

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