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キム・ヨナさんのライバルだった浅田真央さん、初フルマラソン出場で完走

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.12.12 08:17
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日本のフィギュアスター、浅田真央さん(27)が引退後初めて挑戦したマラソン大会で完走に成功した。

日本のスポーツ紙「日刊スポーツ」は11日、浅田真央さんが現地時間で10日、米国ハワイ州ホノルルで開かれた「第45回JALホノルルマラソン」で完走したと報じた。浅田さんは初めて挑戦したフルマラソン(42.195キロメートル)で4時間34分13秒を記録し、参加者およそ2万7000人で2863位に入った。

 
浅田さんは沿道から「真央ちゃん!」と声援を受け、「(スケートの)試合と似ているなと思った」とし「とりあえず完走できて、ほっとしている。80点の出来」と話し、目標の4時間30分にはわずかに及ばなかったものの安堵の笑顔を見せた。浅田さんはまた「15キロで(11月に痛めた左膝の)痛みが出たと思ったら持ち直し、20キロで体が重くなったら持ち直しで、その繰り返しで苦しかった。今までこんなに追い込むことはなかったので、ランナーの皆さんはすごい」と語った。浅田さんは自身のソーシャルメディアに完走の記念写真を数枚掲載し、「声援を送ってくださった皆様。ありがとうございました!」と挨拶を伝えた。

浅田さんは現役時代、走るといえば演技前に身体をほぐす程度のものがすべてだった。そのためことし9月にマラソンへの挑戦を決心した後は専属トレーナーをつけて3カ月にわたって集中トレーニングを受けた。厳しいトレーニングのせいで、先月は選手時代に痛めていた左膝の痛みが再発して苦しい時期を過ごした。浅田さんはこの日も万全の状態ではなかったが、最後まであきらめなかった。

浅田さんは決勝ラインを通過した後、姉の浅田舞さん(29)を強く抱きしめて涙を光らせた。浅田さんは「2010年バンクーバー冬季オリンピック(五輪)を終えて母と姉と一緒にハワイに旅行を来たことがある。マラソンコースを走り、その時のことを思い出した」とコメントした。浅田姉妹の母親である浅田匡子さんは2011年12月、肝硬変で亡くなった。ちょうどレース前日の9日が匡子さんの命日だった。浅田さんは「きっと母も一緒に見ていたと思うので、そう思うと完走できて良かった」と話した。

浅田さんは韓国の「フィギュア女王」ことキム・ヨナさん(27)の現役時代最大ライバルに挙げられていた日本の看板スターだった。世界選手権では3回優勝したが、最大の舞台であるオリンピック(五輪)では金メダルを首にかけることができなかった。バンクーバー五輪では完ぺきな演技をしたキム・ヨナさんに遅れをとり銀メダルで涙を飲んだ。2014年ソチ五輪でもアデリナ・ソトニコワ(21、ロシア)が金メダル、キム・ヨナさんが銀メダルを占め、浅田さんは6位に終わってメダル圏への進入はならなかった。

浅田さんは来年2月に開催される平昌(ピョンチャン)五輪にも出場しようとしたが、負傷と不振でことし4月に引退した。その後はアイスショーに出場する一方、広告撮影にも積極的に参加している浅田さんは、新たな人生に向けて9月からマラソンを始めた。浅田さんは「マラソン完走を手始めにこれからも前進し続けていきたい。スケートだけでなく他の分野にも挑戦していきたい」と力強く抱負を語った。

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