주요 기사 바로가기

「北、ウィーンに来るべき」…核査察機関のそばで核談判をしようという米国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.09.21 10:15
0
米国が米朝非核化実務交渉の場所としてオーストリアの首都ウィーンに言及した。ポンペオ米国務長官は19日(現地時間)の声明で「ビーガン北朝鮮担当特別代表とオーストリアのウィーンでできるだけ早期に会うことを北朝鮮側に要請した」と明らかにした。交渉日が決まる前に「オーストリアのウィーン」を指定して提案したのだ。

ウィーンは欧州の代表的な都市の一つだが、これまで米国と北朝鮮とそこで会ったことはない。1994年の米朝「ジュネーブ合意」の舞台はスイスのジュネーブであり、米朝首脳会談の場所はシンガポールだった。

 
米国はオーストリアが中立国という点を勘案したと分析される。米国だけでなく北朝鮮の大使館もあるだけに北朝鮮が避ける理由はないと判断した可能性が高い。北朝鮮は英ロンドン、伊ローマなど欧州の複数の都市に自国の大使館を置いているが、このうち米朝両国に中立的な地域はスイスのベルンとオーストリアのウィーンくらいだ。

国際原子力機関(IAEA)、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)など主な核関連国際機関がウィーンにあるという点も意味深長だ。北朝鮮の核査察を何よりも重視する米国が今後の核検証を念頭に置いてウィーンを選んだという分析が出る理由だ。

ポンペオ長官が声明で「我々は文在寅(ムン・ジェイン)大統領と金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が、米国と国際原子力機関(IAEA)視察団の参観の下で寧辺(ヨンビョン)のすべての施設を永久に解体することを含む韓半島(朝鮮半島)の完全な非核化に関するシンガポール共同声明を再確認したことを歓迎する」と明らかにした点も、こうした解釈を後押しする。今後の米朝核交渉は核査察などの具体的な非核化措置が前提になるべきという米国側の意志と考えられる。

ウィーンは歴史的な象徴性がある都市だ。冷戦時代の1961年、ケネディ米大統領はフルシチョフ・ソ連共産党書記長とここで会談した。79年にはカーター大統領もブレジネフ書記長にウィーンで会った。オバマ前大統領の執権当時、米国が「敵国」イランに会って核合意を妥結したところもこの都市だった。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP