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<趙英男の日本文化ルポ>2.富士山に差し立てた太極旗?

2004.11.04 18:02
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やがて文化戦争の時代を迎えた。文化とは何か。多様さである。ユネスコ本部が、世界各国に文化の多様性という徳目を掲げ、勧告する以前に、私の考えている多様さの先決条件は、一言で「偏見のなさ」だ。日本を訪問し、それらを観察しながら得た最も大きな所感の一つも、日本社会の「偏見のなさ」だった。認めるべきものは認めて、生きていこう。

たとえば、私は早くからアメリカという国に留学し、6~7年間にわたって住んだことがあるが、当地で感じた最も重要な所感の一つも「偏見のなさ」だった。20年前、東洋人など見当たらない米南端の小都市で私は、英語が下手で背も鼻も低い東洋人の一人にすぎなかった。今振り返ってみても、米社会では偏見の影さえ見られなかった。信じようが信じまいが、私は日本の「偏見のなさ」を早くも30年前から感知していたのかも知れない。

 
1970年代初めごろ、明洞(ミョンドン)のオービスキャビンで一緒に歌っていた歌手、イ・ソンミの場合がそうだ。ある日、彼女が日本で成功した、との話が聞こえてきた。真に不思議に思えた。イ・ソンミが典型的な演歌歌手だったならば、それほど驚かなかったかも知れない。しかし、彼女はカーペンターズのようにソフトな音声だった。日本は、韓国人が見逃した音声までも受け入れる多様性の国だったわけだ。

その後、趙容弼(チョ・ヨンピル)、羅勳兒(ナ・フンア)が、韓日共通の大衆音楽コードである演歌リズムに乗って、難なく日本全域に溶け込んだ。当時、韓国を訪問した日本人の中で『釜山港(プサンハン)へ帰れ』を歌えない人には会ったことがない。だが、日本で最も成功した歌手は、何といっても桂銀淑(ケ・ウンスク)だ。日本歌謡界のトップスターになった韓国歌手。ケ・ウンスクという韓国名を使う同氏を軽く受け入れたのは、日本にせこい偏見などはないとの意味なのではなかろうか。

少なくとも、私にはそう思えはじめた。それ以降、金蓮子(キム・ヨンジャ)、鄭在恩(チョン・ジェウン)を相次いで受け入れたことだけを考えてみても、そうである。それなら、われわれは立場を変えて、一度くらいはこのように尋ねてみなければならない。「そうすると、韓国が受け入れた日本の歌手は誰だったのか」。いない。一人もいない。せいぜいメード・イン・ジャパンの家電や数編の映画で、崩れているバランスを取ろうとしただけだ。

その妙なバランスも、2002年、サッカーのワールドカップ大会を行なった後、再び偏ってしまった。歌手BoAとドラマ『冬のソナタ』の重みが、そのようにした。日本人は、いまや「ヨン様」ことペ・ヨンジュンを含めて、女優の崔志宇(チェ・ジウ)まで心から受け入れている。これまで日本は、韓国がフィリピンとカンボジアのことをよく知らないのと同じく、韓国のことをよく知らなかった。

しかし、1988年に「あれ、日本のように五輪によく対応しているじゃないか」と、02年には「日本よりもサッカーがうまいじゃないか」と、感嘆しはじめた。こうした「韓日関係の変化」の決定的な臨界点というべき瞬間に、BoAがすい星のように登場し『冬のソナタ』が突然やってきた。だとすれば、果たしてそれが富士山に太極旗(テグッキ、注:韓国の国旗)を差し立てたことになるのだろか。それでもって、傷付けられた韓国現代史の傷あとを洗い落とした、と自慰できるのだろうか。

とんでもない話だ。この際、注目すべき反対給付がもう一つある。BoAは、日本からの「逆輸入品」だとの点だ。ややもすれば、日本で成功すると韓国でも成功する、という嬉しくない公式が成り立つかも知れない状況だ。それは「北東アジア文化のメルティングポット」に登場した日本が、文化の流れの機先を制している、との意味ではないだろうか。われわれは、対策作りを急がなければならない。

「韓国で成功してこそ、または成功すれば、日本でも成功できる」という体制に、一日も早くUターンさせるべきだ。また、そうしたUターン作業の前に、韓国人の狭い偏見を捨てるべき時点でもある。風車のような人生のように、世の中は回りつづける。1970年代、米国に滞在していた当時の実際の状況だ。テレビで数日間にわたって放送された日本のドラマ1編が、あっという間に日本についてのイメージを変えておいた。

『将軍』というドラマだったが、放送の直後、寿司屋が「雨後の筍」のように次々とオープンしたのはもちろん、日本人は「こぎれいだ」という認識までアメリカ人の胸の中に刻んでおいた。全く同じ現象が『冬のソナタ』を通じて、日本に広がっている。いま、日本の女性たちは、韓国の男性がみなペ・ヨンジュンのように素敵だと思っている。私は今年9月、このルポに向けた探訪のため、日本に滞在している当時、日本の女性の前で、ペ・ヨンジュンのイメージとのバランスを取るため、ずいぶん苦労しなければならなかった。

小泉首相が盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の前で「ヨン様の人気が首相の人気を上回っている」と愛きょう交じりの発言をしたとき、韓国大統領は残念ながらも適切に対応できなかった。韓国の方には、取りあげられるほどの日本文化がなかったからだ。元々なかったわけではない。韓国は、自分の足で歩いてきた韓国語の日本映画『ホテルビーナス』のようなものを門前払いにし、その代わりBoAと『冬ソナ』で、適当に代理満足を感じているレベルだからだ。

今回、気付いた。それらは、映画『ホテルビーナス』で分かるように、われわれを余裕に見下ろしながら、良いものは全部取っていこう、との構えだ。それなら、韓国に残るものは何だろうか。ひょっとすると、それが「独りぼっちの韓国」の歪んだ肖像の下に残された文化貧困の現象ではないものか、少なからず懸念される。

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