【コラム】アクティブX・Appストア規制、デジタル鎖国主義の亡霊たち
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.03.21 10:44
1853年7月8日。米国の東インド艦隊司令官マシュー・ペリー提督が率いる4隻の軍艦が江戸湾(現在の東京湾)に現れた。武力示威で開港を要求する典型的な砲艦外交だった。翌年、米国と日本は和親条約を締結することになる。ペリー艦隊の旗艦は2450トンの外輪式蒸気船サスケハナ(Susquehana)だった。木材が腐らないようコールタールを塗り、黒く見えた。日本人はこれを「黒船」と呼んで恐れた。当時、日本の主力艦は100-200トンにすぎなかった。当時の黒船は、今でいうと10万トン級の米海軍空母が近づいてくるような圧迫感を与えたはずだ。