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「伝説のロッカー」ヴィクトル・ツォイ、韓露文化の掛け橋として復活

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.10.05 11:24
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ロシアの「ロック音楽の伝説」ヴィクトル・ツォイ。28歳という若さでこの世を去ったが、ロシアでの人気は今も変わらない。(写真=中央フォト)
「腕にある僕の血液型、腕にある僕の軍番号、戦闘での僕の幸運を祈ってくれ。僕がこの草原に停まらないことを祈ってくれ」(ヴィクトル・ツォイの歌『血液型』の中から)。

「僕たちの心臓が変化を求める。僕たちの目も変化を求める。…僕たちの全身が変化を求める。僕たちは変化を待っている」(ヴィクトル・ツォイの歌『変化』の中から)。

 
1980年代激変の中にあった旧ソ連の若者たちの心を揺さぶったロシアの「ロック音楽の伝説」ヴィクトル・ツォイ(1962~1990)。人気が絶頂だった時、不慮の交通事故によって28歳という若さでこの世を去った彼の人気は今も冷めやらない。ヴィクトル・ツォイの死後に生まれて彼を見たことがないという今の20~30代のロシアの若者も彼の音楽を聞いている。サンクトペテルブルクにある墓地を管理するファンクラブもある。80年代初期からヴィクトル・ツォイとともに活動したグループ「アリサ」は現在もロシアで人気がある。彼らはコンサートのたびにヴィクトル・ツォイの歌を歌いながらこのようにいう。「私たちが生きている限り、ヴィクトル・ツォイの歌を歌い続ける」と。

ヴィクトル・ツォイの音楽を世界に広めながら韓国とロシアの間の絆を深くするための「韓露ヴィクトル・ツォイ記念事業会」が発足する。俄館播遷120周年韓露学術セミナーとともに「韓露ヴィクトル・ツォイ記念事業会」発足祝賀音楽会が5日午前10時~午後4時、ソウル・プレジデントホテル31階で開かれる。

このためにヴィクトル・ツォイの父親であり高麗人2世のロベルト・マクシモーヴィチ・ツォイさん(78歳)が2度目の訪韓を果たした。3日に会ったロベルト・ツォイさんは息子の死をめぐる謎を尋ねられるとしばらく答えを渋りながらこのように話した。

「ヴィクトルの死後2年間はとても辛かった。2年間、ファンから『ヴィクトルが生きている』という手紙をもらった。ヴィクトルの死を信じることができないファンが事故ではなく暗殺だったと多くのうわさを立てた」。また、事故の真相については「ラトビア共和国リガの閑静な湖に釣りにいこうとして自動車を運転していたところ、カーブ道で運転者だけが乗っていた大型バスと正面衝突して即死した。原因を詳しく調査してほしいと何度も要請した結果、ヴィクトルの過ちだったとの結論が出た。時速100キロで走っていてカーブ道で減速できずに事故に遭った」と話した。

子供のころは絵をよく描いていたヴィクトルは美術学校に進学し、いつが画家になるものと期待していたという話もした。1982年にグループ「キノー(KINO)」を結成した時も趣味でやっていると思ったという。ヴィクトルの人気の社会的な意味については「世界の政治状況が変化のときだったから人々が『変化』を聞いて時代の変化の象徴だと感じたようだ」と話した。

今回の行事を主管するコラス(KOR-RUS)未来財団の総括会長はロシアと農水産物・鉱山物関連貿易を長年手がけてきたオキンググループのナ・ジョンジュ会長が引き受けた。財団のロシア側会長は国際高麗人連合会のキム・ヨンウン会長で、この日「韓露歴史的友好関係再評価」について発表する予定だ。ロシア極東研究所韓国学研究センター長のAlexandar Zhebin氏も訪韓して「高宗(コジョン)皇帝の主観的決断とロシアの政治的対応」について発表する。

「韓露ヴィクトル・ツォイ記念事業会」はコラス未来財団の核心事業だ。チョン・ユングン企画委員長は「ヴィクトル・ツォイの音楽に改めて照明を当ててこれを世界に広め、韓国・ロシア文化交流の中心に据えていく予定」と明らかにした。

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