【コラム】朴大統領の運命(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.03.02 14:18
朴大統領は旧正月連休に顕忠院(ヒョンチュンウォン)に墓参りをした。今年は「朴正熙(パク・チョンヒ)誕生(1917年11月14日)100周年」だ。金鐘必(キム・ジョンピル)元首相の話が思い出す。1979年朴正煕暗殺事件後、「朴正熙元大統領葬式」でリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはこう語った』が演奏された。ニーチェの超人と同じタイトルの交響詩だ。金鐘必氏は「その荘厳な旋律の中で近代化革命家の誕生100年を記念したい」と述べた。だが、弾劾政局で金鐘必氏の構想は消えた。娘の失敗は父親を傷つけた。光化門広場は朴正熙・朴槿恵をひっくるめて積弊清算を叫んでいる。太極旗集会には朴正熙氏の業績を守護する旗もはためいている。
三一節のソウルは二分された。光化門とソウル広場は敵対的だ。ろうそくと太極旗の弾劾賛否戦線は激しい。その風景は解放された後の対立を思い出させる。金守漢(キム・スハン)元国会議長(1928年生まれ)はこのように覚えている。「解放後、初の三一節行事(1946年)は左右に分かれた。信託統治の賛否のためだ。左翼は反信託統治からソ連の指令により賛託に急変し、分裂は激しくなった」。