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<駐韓米大使襲撃>キム容疑者「10日前に犯行計画…米大使こらしめようと」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.03.06 10:24
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韓国の警察は5日、ソウル警察庁のキム・チョルジュン捜査部長を本部長とする「米大使襲撃事件捜査本部」を設置して犯行の動機、共犯の有無などについての本格捜査に着手した。この日午前、マーク・リッパート米国大使に凶器を振り回したキム・ギジョン氏(55)を逮捕して事件の経緯を追及中だ。キム氏は警察署から病院に向かう道で「10日前から犯行を計画し1人でやった」として「米大使をこらしめるつもりでやった」と話した。キム氏の弁護を引き受けたファン・サンヒョン弁護士は「キム氏が(大使に)申し訳ないという感情を持っている」としつつも「戦争訓練を押し切ったので腹が立ったようだ」と話した。

キム氏は1984年3月に進歩指向の文化団体「ウリマダン(私たちの広場)」を創立した在野の活動家だ。全羅南道康津(チョンラナムド・カンジン)生まれで成均館(ソンギュングァン)大学法学科を卒業したキム氏は、「歴史断絶を文化で克服する」としてさまざまな団体を設立してタルチュム(仮面劇)・パンソリなどを普及させてきた。96年に彼が設立したウリマダン統一文化研究所が開催した討論会には、禹相虎(ウ・サンホ)・李鍾杰(イ・ジョンゴル)・文炳浩(ムン・ビョンホ)新政治民主連合議員と鄭東泳(チョン・ドンヨン)元議員らが参加した。2006年5月には「ウリマダン独島(ドクト)守護神」という団体を作って本籍を独島に移し本格的な反日運動に乗り出した。北朝鮮にも8回訪問した。

キム氏の知人らは「キム氏が暴力的で偶発的な行動で数回物議をかもしながらほかの活動家たちから遠ざかり始めた」と伝えた。「ウリマダン浸透事件」(88年発生)の真相究明を要求して2007年10月、青瓦台(チョンワデ、大統領府)の前で焼身を図った事件が代表的だ。2010年7月にはソウルプレスセンターで講演をした重家俊範・駐韓日本大使にコンクリートの塊2つを投げた容疑(外国使節暴行など)で拘束起訴され、裁判で懲役2年・執行猶予3年を宣告された。2011年に国家保安法被害者の会の3人と共に徳寿宮(トクスグン)大漢門の前に金正日(キム・ジョンイル)総書記の焼香所を設置しようとしたが父母連合の暴行にあった。

 
知人らはキム氏を特定組織に属さない「自然発生的テロリスト」を意味する「孤独なオオカミ(Lone Wolf)」と表現した。血の気の多い彼が孤独な人として過ごしながら犯行に及んだという話だ。ソウル南部労働相談センターのムン・ジェフン所長は「90年代初期にキム氏が車から落ちて頭をケガして入院し、てんかん症状も現れて治癒が必要な状態だった」と話した。弟キム・ギチャン氏は「兄は長男なのにほかの妹弟に荷物を押し付けて本人はアブノーマルに走った」として「社会から認められないためにたびたび過激な方法を選ぶようだ」と話した。兄弟は4~5年間連絡を取っていなかったという。禹相虎・新政治連合議員は「被害者意識が強く、国会公聴会でひねくれた質問を投げかけたり悪態をついたりしてその場を台無しにしていた」と話した。

キム氏は未婚で基礎生活受給者だ。キム氏の事務所があるソウル西大門区(ソデムング)の多世代住宅の建物オーナーは「最近4、5カ月ほど家賃が滞納された状態」と話した。

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