南太平洋「トラック島」慰安婦被害者の実体、資料で初めて証明

南太平洋「トラック島」慰安婦被害者の実体、資料で初めて証明

2017年12月11日14時56分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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トラック島に慰安婦として連行されたイ・ボクスンさんの写真(資料提供=ソウル市)
  南太平洋の日本海軍基地に朝鮮人慰安婦被害者がいたという事実が資料で確認された。ソウル市とソウル大学人権センターは、南太平洋にある「トラック島」〔現・チューク諸島(Chuuk Islands)〕に連行された朝鮮人慰安婦の存在を米軍記録等を通して確認したと11日、公表した。

  済州道(チェジュド)から南西に約4000キロメートル離れたトラック島は第2次大戦時、旧日本海軍艦隊の主要基地だった。当時、朝鮮人が基地建設などのためにここに強制動員された。もともと「チューク」と呼ばれた地名はドイツ軍占領後「トゥルーク」に変わり、その後日本軍が「トラック」と発音したことでトラック島として知られるようになった。島は現在、ミクロネシア連邦に属している。

  ソウル市は当時米軍が作成した戦闘日時や朝鮮人慰安婦が帰還当時に搭乗した護衛艦の乗船人名簿、朝鮮人の帰還を扱ったニューヨーク・タイムズの記事などの資料を発掘して朝鮮人慰安婦被害者26人の実体を明らかにした。フィリピンやカンボジアなどの日本軍戦線に慰安婦が存在していたことは広く知られていたが、南太平洋海軍基地にも慰安婦被害者がいたということが確認されたのは今回が初めてだ。

  今回発掘された1946年3月2日付けのニューヨーク・タイムズ記事「トラック島の日本人は捕虜ではない(Japanese On Truk Are Not Prisoners)」は朝鮮人がトラック島を離れる状況を具体的に描いている。記事は「トラック島の司令官である海兵准将ロバート・ブレイクが朝鮮人と27人の朝鮮人慰安婦(Comfort Girls)を故郷に返した」とし「ブレイクによると、女性らは残って米国人のために仕事をすることを望んだ。女性たちは他の朝鮮人が日本軍に協力したという理由で自分たちを海に投げ落とすだろうと言って恐れた」と描写した。この記事では、慰安婦を27人と記載しているが、これは子ども3人のうち1人を慰安婦に分類したものに伴うものと見られると研究チームは説明した。

  戦闘日誌によると、帰還した計1万4298人のうち3483人が朝鮮人で、そのうち軍人は190人、海軍労務者は3049人、民間人は244人だった。そのうちの朝鮮人慰安婦26人は1946年1月17日、護衛艦「いきの(IKINO)」に乗り日本を経由して朝鮮に帰還した。

  同艦の乗船人名簿には、慰安婦被害者26人の名前が創氏改名による日本式の名前で記載されていたため身元確認には困難が伴った。ソウル市関係者は「政府に公式登録されている慰安婦被害女性のうち、唯一トラック島に連行された故イ・ボクスンさんを探すことを1次目標にした」と説明した。研究チームは名簿に含まれた名前のうち、大邱(テグ)に住所があった「仁川福順(HITOKAWA FUKUJUN)」がイ・ボクスンさんの創氏改名後の名前だと見て追跡に入った。

  イ・ボクスンさんは生前は口述資料を残しておらず、1993年12月に政府に被害を申告した時にも被害についての簡略内容しか残していなかったため、その人生がベールに包まれていた。研究チームが、生前にイ・ボクスンさんと身近に接していた大邱ヒウム日本軍慰安婦歴史館のイ・インスン館長にトラック島の慰安婦写真を見せると、イ館長はすぐにこの写真の人物がイ・ボクスンさんだと分かったという。数日後、イ・ボクスンさんの息子もこの写真が自分の母親であることに間違いないと確認した。研究チームは「イ・ボクスンさんの夫の戸籍がある慶尚北道安東市の(キョンサンブクド・アンドンシ)の吉安面(キランミョン)事務所関係者らが除籍謄本を一つ一つ確認してボクスンさんの創氏名と住所を捜し出した」と説明した。

  ソウル市とソウル大学研究チームは米国国立文書記録管理庁に保管されている資料を発掘してこのような確認作業に成功した。ことし7月、世界で初めて朝鮮人「慰安婦」を実際に撮影した映像を発掘・公開したことに続く成果だ。市は過去2年間にわたって発掘してきた慰安婦資料を基に、来年1月、単行本を出版する計画だ。
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追加写真

  • トラック島に慰安婦として連行されたイ・ボクスンさんの写真(資料提供=ソウル市)
  • トラック島から帰還した朝鮮人を扱った米ニューヨーク・タイムズの記事(写真提供=ソウル市)