【コラム】ネバーエンディングストーリー=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.10.22 13:36
こんなふうに責任を他人に転嫁すれば、解決策は私の手から離れることになる。問題を解決するには、私が問題を押し付けた、まさにその人を通じて得るほかはない。果たしてそれが可能なのか。起きた問題がみな私のせいだと認めてこそ、問題解決が可能なのではないか。
彼女に昨日また会った。「私たち、うまく解決できたの。良い職場を捨てて結婚して、子供を産んだのもみな私が決めたことなのに誰かを恨んでいた。これからは子供も私が育て、仕事もまたする。もし結婚しなかったら、こんなにかわいい子供は永遠にいなかった。それはもっと残酷」。結婚前と比較してみると、夫と自分自身の身分の差があまりにも大きくなって腹が立って離婚はできなかったと彼女。とりあえず夫と似たような水準まで自身を満たした後、その時になってもう一度考えるという。
「これまで熱心に内助した私のことを考えて、少しの間だけ離れて住んで、離婚をするにもその時は再考してみて、育児は実家のサポートを少し受けて2年間だけ一生懸命勉強して、私のきらびやかだった過去を取り戻すのにあなたが少し助けてほしい」と言ったところ、彼は「私がサポートしてどんどん押してあげるから、一生懸命頑張りなさい」って。思いがけない夫の反応に勢いがついたという彼女。不都合な結婚生活を夫のせいだけにせず、「クール」に自分のせいだと認めながら格好よく新しい出発をしようとする彼女。仕事を選ぶ、結婚を選ぶ、結婚もして仕事もするのは全て各自の選択であり、結果もまた各自の責任だ。