【コラム】朴大統領のあの不通人事をどのように理解するか(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.01.16 11:01
朴槿恵(パク・クネ)大統領の新年記者会見は荒々しい波風を立てた。国民は常識的に理解できない相次ぐ要人惨事と国政壟断の疑いをかけられる秘書室長と実力者3人衆の整理を期待して記者会見を見守った。しかし朴大統領は情熱的に秘書室長と3人の秘書官を擁護した。3人の秘書官については交替する理由がないと2度も宣言した。結果的に実力者3人衆の地位は垂直に上昇した。手帳をたたんで視野を広げ、広く求めれば彼らに代わる秘書はいくらでもいるだろう。それなのになぜ朴大統領は彼らにそんなに執着するのだろうか。この問いに対する最もわかりやすい答えは歴史心理学においてのみ求めることができそうだ。
幸い2007年に出た朴大統領の回顧録『絶望は私を鍛え、希望は私を動かす』に歴史心理学的な資料が比較的忠実にまとめられている。朴大統領は母を在日朝総連系暗殺者の凶弾で失った。父を殺害したのは父の長年の友人で側近である中央情報部長だ。朴大統領の意識の深いところに人間に対する不信のトラウマが頑固に残っていても全く無理のないことだ。朴大統領は青瓦台(チョンワデ、大統領府)から新堂洞(シンダンドン)に引越した後に体験した人の心の変化をこのように書いた。「当時、父の最も近くにいた人々さえ冷たく変わっていく現実は私にとって少なくない衝撃だった…そのように私たちのそばの人々は1人2人離れ、世の中に背を向けられて弟たちと私は歴史の裏道に消えるように思えた…人々は明確な信念がなくとも権力を追って容易にこちらとあちらを行き来した。お互いに対する信義はなく、軽薄な計算だけが乱舞した」