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【コラム】故盧武鉉と大統領・文在寅(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.05.23 17:02
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今日、文大統領はもう一人の魂を慰めにいく。盧武鉉元大統領の8周忌追悼式に出席するため墓地がある烽下村を訪れる。悲劇的な自殺で命を終えた盧元大統領も、文大統領には乱暴な国家権力の悔しい犠牲者なのだろう。友人であり同志だった2人の関係は運命的だ。盧武鉉がいない文在寅は考えられない。盧武鉉の生と死があったからこそ今日の文在寅が存在する。烽下村を訪れる文大統領としては万感胸に迫るだろう。

文大統領は選挙運動中、自分が当選すれば第19代大統領として盧元大統領の8周忌追悼式に出席すると公言した。悩みもあったはずだ。もう自然人文在寅でなく大統領文在寅であるからだ。盧武鉉を懐かしむ人々の大統領でもあるが、依然として盧武鉉に疑いと警戒の目を向ける人々の大統領でもある。

 
今回一度だけ行って終わるのか、それとも任期中に毎回行くのかも悩むだろう。故人になったすべての大統領の追悼式に出席するべきではという問題提起も考えられる。追悼式を控えて年次休暇を取り、梁山(ヤンサン)の私邸から上京する途中に烽下村に立ち寄る形式をとるのも、こうした悩みの産物なのかもしれない。

文大統領が今日の追悼式でどんなメッセージを出すかに関心が集まっている。個人的な判断では特別な言及をしないのがよいと考える。5・18光州民主化運動の犠牲者の追悼式とは性格が違うからだ。故人を追悼し、静かに遺族の手を握ることで足りるだろう。彼が大統領になってその場に出ること自体が、故人と遺族、そして今でも盧武鉉を忘れることができない人たちには解冤の意味がある。あえて言葉で説明しなくてもよい。

文大統領は著書『運命』に「盧武鉉も、参加政府も、一つの歴史になっただけに、ありのまま成功と挫折の他山の石としよう」と書いた。「もう盧武鉉時代を越えなければいけない」とも言った。そうだ。もう盧武鉉は置いておこう。文在寅政権は盧武鉉政権の「シーズン2」ではない。そうしてほしいと思って国民が大統領に選んだわけではない。積弊清算が誤ったシステムの清算でなく、もう一つの悲劇を生む人的清算になれば、土の中にいる盧武鉉も安らかに眠れないはずだ。

ペ・ミョンボク/中央日報コラムニスト


【コラム】故盧武鉉と大統領・文在寅(1)

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