【取材日記】韓国の憂鬱な50回目「科学、情報通信の日」、科学界自らまねいた

【取材日記】韓国の憂鬱な50回目「科学、情報通信の日」、科学界自らまねいた

2017年04月24日09時43分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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パク・ヨンソク
  誕生日は誰が祝ってやるべきか。忙しなく生きていると、誕生日も記念日もつい忘れてしまいがちになるのが最近のご時世だが、それでも何もしなければ寂しいものになる。誕生日を迎えた人にとっても、その誕生日を作った両親にとっても。そのため他の人が祝ってやることができないなら、国だけでも祝ってやらなければならない。ケーキを切ってろうそくの火を消すことができず、恨めしく思うかもしれない。だが、本当に重要なのは、年に一度やってくるその日になったら、私がなぜこの世に生まれ、また今後どのように行きていくべきなのかあれこれ考えることができるためだ。

  今月21日午前11時、ソウル東大門(トンデムン)デザインプラザ(DDP)で「科学・情報通信の日記念式」が開かれた。首相や長官らが参加したこの日の行事には、有功者勲・褒章と大統領表彰、国務総理授賞が行われた。科学技術と情報通信人が集まって賞を分け合い、互いに激励しあっていたので、気持ちの良い宴会の日のように見えたが、実状はそうでなかった。

  この日は科学の日半世紀、50周年になる日だった。知天命(50歳)の誕生日なら、そのまま通り過ぎることはできないはずだ。成長が止まってしまった大韓民国の国家研究開発革新体系に対する反省と当時に、今後のビジョンを打ち立てて共有もしそうなものだった。だが、この日、行事のどこにも「科学の日50周年」という表現は見つからなかった。さらに、科学元老の姿は一人も見受けられなかった。だからだろうか。大統領選挙に出た候補者も関心がなかった。主宰側によれば招待はしたが応じる候補はいなかった。

  科学の日は朴正熙(パク・チョンヒ)大統領時代に作られた。1967年4月21日の科学技術処の発足日を記念して翌年4月21日を科学の日とした。その後、科学は韓国の成長エンジンとなり、この地の近代化・産業化の旗振り役として力強く国を引っ張ってきた。そのような科学の日がなぜ50周年を迎えて失踪してしまったのだろうか。4月21日が科学の日ではなく、科学・情報通信の日になったためだ。2013年科学と情報通信が融合した未来創造科学部が創設され、一つの部署で科学の日(4月21日)と情報通信の日(4月22日)の行事を続けざまに行うことが負担になった。大統領が一つの部署の行事に2日連続で出席しなければならないのも負担だった。そうするうちにことし50周年の誕生日が埋もれてしまったのだ。

  だが、本当の原因は、齢五十になるまで誕生日の祝膳をただ受けるばかりだった分別のない「科学」にあるようだ。その年齢になってもワカメスープをすくって口に入れてやっていた両親(国家)の責任も大きい。21世紀になっても依然と「博士の上に主査(6級公務員)」という自嘲混じりの嘆きが漏れる官治科学界の現実が生んだ弊害だ。半世紀前に科学の日を制定して大徳(テドク)研究団地を作った大統領の娘は今、「監獄」にいる。科学界は両親が祝ってくれなければ、自分の誕生日すら祝えない「キダルト」になってしまった。あれこれと憂鬱でうら寂しい科学の日50周年だ。

  チェ・ジュノ/産業部記者
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