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【コラム】韓国の太極旗ジレンマ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.03.02 10:02
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太極旗といえば思い浮かべるいくつかの場面がある。年代が古い順から紹介するなら、1970~80年代の学生時代、国旗降納式と「国旗に対する誓い」を思い出す。維新時代の象徴とも言える映画『国際市場で逢いましょう』にも登場した、まさにその場面だ。「太極旗が風にはためきます。空高く美しくはためきます」という童謡『太極旗』に合わせてゴム跳びあそびをした。幼い感性にも何か官制的なにおいを嗅ぎ取っていたようだ。

歴史的な、感動的な太極旗もある。次々と倒れていった光州(クァンジュ)抗争の犠牲者の死体と棺を覆った太極旗の写真を見た時の衝撃は依然として生々しい。6・10抗争(6月民主抗争)の時、釜山市(プサンシ)庁前のデモで、上着を脱ぎ捨てた青年が催涙ガスを突き抜けて太極旗をはためかせながら突進した場面もどうだろうか。2つとも韓国の民主化運動、いや韓国現代史の代表的なイメージとして残っている太極旗だ。しかし、我らが鋭敏な小説家・韓江(ハンガン)は、5・18(光州事件)を素材にした小説『少年が来る』で、太極旗に対する別の問いを投げかけている。

 
「主人公ドンホは、商務館で人々が入棺を終えた後、略式で行われる短い追悼式で、遺族が愛国歌を歌いながら棺を太極旗で覆い被せる様子を見ていぶかしくしく思う。『なぜ太極旗で棺を覆うのだろうか。まるで国が彼らを殺したのではない、と言わんばかりだ』と」。

強要された国家主義、あるいは市民的抵抗の象徴としての太極旗。太極旗に対するこの複雑微妙な矛盾感情がすっきりしたのは2002年韓日ワールドカップになってからだ。広場にあふれ出た人々は大人・子ども関係なく、自発的に太極旗を振りながら「大~韓民国」と叫んだ。青年たちは全身を太極旗で包んだり顔に太極旗をペイントしたりしてその感激に思い切り浸った。己未年(1919年)3月1日の天安(チョナン)アウネ市場の太極旗、1950年9月28日のソウル収復当時、中央庁に掲げられた太極旗など、屈曲した現代史でいつも政治的・歴史的な傷とともにあった太極旗が、はじめてはつらつとした祭りの象徴になった瞬間だった。歴史的な重みを軽くして登場した太極旗の誕生だ。その後、各種太極旗パフォーマンスを心の呵責なく見ることができるようになったのも、2002年の広場での経験が大きかった。


【コラム】韓国の太極旗ジレンマ(2)

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