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日帝が線路を敷いて半分になってしまった独立活動家の家(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.08.16 14:22
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光復節(解放記念日)の祝辞で、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は慶尚北道安東(キョンサンブクド・アンドン)にある古宅「臨清閣」(宝物第182号)に言及した。文大統領は「臨清閣は石洲(ソクジュ)李相龍(イ・サンリョン、1858~1932)先生など9人の独立闘士を輩出した独立運動の産室」とし「大韓民国ノのブレス・オブリージュ(社会の指導層に求められる道徳的義務)を象徴する空間」と述べた。また「九十九間の邸宅だった臨清閣は、日帝によって半分にされた姿がまだそのまま」とし「李相龍先生の孫・孫娘は解放後は大韓民国で孤児院生活を送ることになった。臨清閣の姿はそのままわれわれが振り返るべき大韓民国の現実」と述べた。文大統領がノブレス・オブリージュの象徴だと言及した臨清閣とは一体どのような場所なのか。

15日午後に訪れた慶尚北道安東市法興洞(ポップンドン)の臨清閣。数百年の歳月が流れてはいたが、木と土で丈夫に建てられた朝鮮時代の韓屋の姿をそのままとどめていた。小さな広場だけ6つがある邸宅で、内棟(アンチェ、母屋)・舎廊棟(サランチェ、主人の生活空間)・行廊棟(ヘンランチェ、下人の住まい)などできちんと区分されていた。2000年からは古宅体験施設としても活用されている。この日、子ども2人を連れて夫人とともに臨清閣を訪れたオ・ウンソクさん(47)は「テレビで文大統領が言及しているのを耳にして、すぐに京畿道龍仁(キョンギド・ヨンイン)から安東にやってきた」とし「雨が降った後だからか、静寂の風景が実に素晴らしい」と話した。

 
固城李氏一族の本家である臨清閣は、嶺南山を背にし洛東江(ナクトンガン)が前に流れる典型的な背山臨水の地形に位置している。5289平方メートルの敷地に建てられた臨清閣は、日帝が1942年に家の前庭に線路を引いたせいで洛東江が流れる風景を見ることができなくなったが、依然として70間程度の規模を誇る邸宅だった。臨清閣を管理しているキム・ホテさんは「日帝強占期には安東鉄道の官舎として使われていた」とし「日帝の蛮行がなくうまく管理さえしていれば、今よりも雄壮な姿で残っていただろう」と残念そうだった。

臨清閣には李相龍先生の曽孫子であるイ・ハンジュンさん(78)が住んでいる。イさんの部屋には昨年5月27日、文大統領が立ち寄った跡が残っていた。当時、国会議員だった文大統領は臨清閣を訪れて食事をして行きたいと申し出たという。そして「忠節の家で石洲李相龍先生の滅私奉公の愛国民族愛精神を心に刻み、臨清閣の完全な復元を誓います」という一文を書いてイさんに手渡した。イさんはこの文を額に入れて壁に掛けている。イさんは「現在の線路を別の場所に移動させる工事をしていると聞いている」とし「2020年ごろになれば、臨清閣が以前のままの姿に復元されるものと期待している」と話した。


日帝が線路を敷いて半分になってしまった独立活動家の家(2)

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