주요 기사 바로가기

【グローバルウォッチ】1980年光州の流れ変えた米国の「チェロキー作戦」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.10.13 14:59
0
イランと同じように、反米社会勢力と韓国でも対面するのは米国の立場からすると悪夢だった。だが、イランと韓国の状況をもう少し綿密に比較していれば状況が全く違うことを知ることができたはずだった。イランとは違い、韓国の野党勢力と学生デモは米国の利益を決して脅かすものではなかった。80年に韓国で起きた民主化運動を、後日反米まで高めたのは米国自身だった。米国が韓国でイランのような無秩序を目撃したのは確かだ。だが、イラン駐在米国大使館の占拠と光州の違いを認識できなかったことは米国にとって大きいミスだった。

米国のもう一つの懸念は北朝鮮が韓国の状況を悪用する可能性だった。だが、当時、北朝鮮軍に意味ある動きがあったという根拠は薄い。最近公開された文書によると、北朝鮮は光州で起きたことなどを見て「驚き」を表わした。北朝鮮が光州の黒幕として作用していなかった根拠になりうる。

 
戒厳令が全国に拡大してからの米国の対応は中途半端そのものだった。駐韓米国大使は、仲裁に入ってほしいという韓国側の申し入れを拒否した。戒厳軍が光州に進駐すると、カーター大統領は公式に「ある時は人権が安保に従属しなければならない」と述べた。「チェロキー作戦」グループは全斗煥の執権を容認し、新たな権威主義政権に周辺的程度の影響力を及ぼすことを選んだ。

米国は対応の方法を変えるべきだったのだろうか。この問いに答えるためには1986~87年に起きたことを参照する必要がある。保守派大統領であるロナルド・レーガンは前任者よりもはるかに積極的な政策を駆使した。彼は自由で公正な大統領直選を支持した。

とにかく、困惑に満ちた歴史のせいで今まで韓国社会は分裂していた。韓国が分裂を乗り越えて和合することを希求する。韓国が80年に民主化された可能性を排除することはできない。その時に民主化されたとすれば、韓国は7年間の民主化運動の過程における人命犠牲を避けることができた。事実に基づいた省察は韓国だけでなく米国にとっても切実だ。

ステファン・ハガード/カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)客員教授

◆外部者執筆のコラムは中央日報の編集方針と異なる場合があります。


【グローバルウ䢃ッチ】1980年光州の流れ変えた米国の「チェロキー作戦」(1)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP