<インタビュー>元中日の李尚勲 ロッカーとして5年 その②

<インタビュー>元中日の李尚勲 ロッカーとして5年 その②

2008年02月21日16時14分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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  --他のチームからの接触や野球関連の話があったはずだが。

  「以前より少なくなったが、解説・コーチ・インストラクターをしてはどうかという話がくる。 しかし音楽をしているのでできない。 私がまた野球界へ行くのもよくない。 SKは努力した末に私を招き、頑張ってくれると期待していたはずだ。 私がやめてSKも頭を悩ませたにちがいない。他のチームに行くというのは話にならない。 SKに戻るといっても人々を馬鹿にするようなものだし。 時間が経てば忘れるといっても、それは(チームやファンに対する)礼儀ではない」

  --音楽をする立場として‘元野球選手’というレッテルは嫌ではないか。

  「一生離れない。 私が音楽的に成長し、インタビューをしても、記事は‘元プロ野球選手の李尚勲’として出るだろう。 シン・デチョル先輩が今でも‘シン・ジュンヒョンの息子’と呼ばれるのと同じだ」

  --億ウォン台の年俸を受けていた人が音楽で得る収入はあまりにも少ないのでは。

  「そういう質問をよくされるが、なければないなりに暮らさなければいけない。 車も変えると、‘あいつ、乞食になった’という声も聞いた。 以前からもそうだが、他人のことは意識しないので関係ない」

  --音楽での目標は。

  「プロのミュージシャンになると決めて始めたわけではない。 野球をしているときも‘新人王になる’‘何勝する’という約束をしたことは一度もない。 野球が好きで努力し、幸運もあった。 頑張ったから記録もつくり、マイナーだが米国へも行った。 音楽も同じ。 運動していた人がロック音楽をするのは初めて。 新人の心でここまできたし、認めてくれる人も増えた。 今は成長すればよいと思うが、だからといって世宗(セジョン)文化会館をぎっしり埋めて公演をするということではない」

  --最高の投手だっただけに、常に最高の目標があると思っていたが。

  「頑張って、それに相応するものが返ってくれば十分だ。 ‘最高の投手’という表現にも拒否感というが、負担感があった。 認めてくれるのはよいが、自分ではまだまだ不足している人間だと考えている。 自分ができないことをうまくでする人はいくらでもいる。 ただ自分ができることをするだけ…うーん、あまりにも否定的な話かな?」

  全盛期、李尚勲がブルペンで投球を始めると、蚕室(チャムシル)球場には映画「ミッションインポシブル」の主題曲が流れた。 映画のタイトルのように彼は堂々と挑戦した。 彼はこれからボールではなく声に情熱を込めて歌う。 マウンドで気持ちのよい直球を投げていたあの姿で。

  ▶ <インタビュー>元中日の李尚勲 ロッカーとして5年 その①
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