<外交は力だ>(1)旧韓末の救国外交「ロシア皇帝に送った高宗親書を初公開」

<外交は力だ>(1)旧韓末の救国外交「ロシア皇帝に送った高宗親書を初公開」

2015年08月12日14時57分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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高宗(コジョン)がロシアのニコライ2世皇帝に乙巳勒約の約3カ月前の1905年8月22日に送った親書。「韓国皇帝の親書」という題名の10枚の文書で高宗は「日本の独立抹殺行為は違法」と告発した。
  「大韓帝国は4000年の歴史を持つ独立国家である一方、日本は1200~1300年代に入ってやっと国家を樹立した。日本のさまざまな風習は朕(皇帝が自らを指し示す言葉)の国から由来し、文字も朕の国民が教えた。日本人たちは自分たちの先祖のように朕の国を尊敬し、朕の国とあえて敵対的関係を結ぶ考えもできなかった(中略)」。

  110年前に大韓帝国の高宗(コジョン、1852~1919)皇帝がロシアのニコライ2世に送った親書の一部だ。親書を書いた日は1905年8月22日。乙巳勒約(第2次日韓協約)を締結(11月17日)する3カ月前だ。親書は日本に文字も教え、風習も伝えたことを明示している。それでも日本が違法侵略をしたと告発している。

  「日本はあくらつで、ものものしく朕の国の主権を掌握している。現在の韓国がこうも悲しい情況に処した原因は、国家が虚弱で防衛もできず、権利を守ることができなかったためだ。そうだったとしても私たちは数回にわたり独立国家であることを宣言した。今、日本は確かに朕の国に君臨して独立を抹殺させようとしているが、違法である」。

  この親書は東北アジア歴史財団のチェ・ドクギュ研究委員が帝政ロシア対外政策文書館で発見した。高宗がロシアに親書を送ったという記録はあるが、親書に含まれた内容が公開されたのは初めてだ。中央日報が最近入手した親書の写本は「韓国皇帝の親書」という題名の10枚文書だ。ロシア語になっており、ロシア政府の文書の正本であることを確認する印鑑が捺印されている。高宗が初めからロシア語になった親書を送ったのか、ロシア側が漢字を翻訳して保管したのかは分からない。親書で高宗は「日本が我が国の主権を侵奪しようとする陰謀を企てられないように公使をはやく再び派遣するよう涙で訴える」とした。

  チェ研究委員は「高宗の努力にもかかわらず、その年9月のポーツマス講和条約でロシアは韓半島(朝鮮半島)で日本の優越的地位を認める。大韓帝国では高宗皇帝を牽制する親日内閣が組まれた」として「この時から高宗は個人、非公式組織を通じて対外政策を展開するほかはなかった」とした。結局この親書は、高宗が政府を代表して最後に稼動した公式外交チャンネルだった。高宗は親書で「2000万の国民が涙を流している。さらに鶏や犬さえ鳴けぬほどに生きられない」と悲痛に訴えた。

  光復(解放)70年を迎え、亡国の時代にも奪われた国権を取り戻すために血の涙を流した悲運の外交官たちを再照明するシリーズを企画した。歴史は常に教訓を残す。子孫たちは、その歴史から失敗と成功を全て学ぶ義務がある。
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