【コラム】政治的進歩、美学的進歩=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.02.02 16:36
先月7日は仏週刊誌シャルリー・エブド襲撃事件から2年となる日だった。イスラム預言者ムハンマドが尻を出して横になった風刺画に怒ったイスラム極端主義者の兄弟が、パリの同誌事務室に乱入して編集長など12人を射殺した事件だった。2周忌の追悼式には今でも活動を続ける同誌の風刺画家3人が出席し、亡くなった同僚に献花した。シャルリー・エブドは事件の後、セキュリティーが徹底したところに事務室を移したというが、宗教・人種など聖域なく批判する精神に変わりはないようだ。先月24日には多くの犠牲者を出したイタリアの雪崩れに関する風刺画をフェイスブックに載せ、「人命を戯画化するな」というイタリア人の非難を買った。昨年もシャルリー・エブドはイタリア地震被害者をパスタの麺に比喩した風刺画で物議をかもした。
2年前のシャルリー・エブド襲撃事件は表現の自由に関して世界的な論争を呼び起こした。表現の自由という原則と他者・少数者に対する嫌悪が共存できるかという問題だ。「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というボルテールの言葉で代弁される表現の自由に制限論が出てきたということだ。もちろん意見は分かれた。フランス五月革命の後えいにふさわしく一切の権威に抵抗するシャルリー・エブドがキリスト教・イスラム教などすべての制度圏宗教の原理主義を対象にしただけという意見と、彼らが享受する表現の自由はフランスの少数者であるムスリムに向けた白人男性の侮辱という意見が対立した。