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【コラム】「人間安全保障国家」ビジョン(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.08.31 10:50
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「戦争は起こってはならないものである」、それを議論することは相手に要らぬ懐疑心を与えることになる。したがって「危険な匂いのする」議論は慎まなければならない---

「原発事故は起こってはならないものである」、それを議論することは、住民に要らぬ不安を与えることになる。したがって、「危険な匂いのする」モノは現場から遠ざけなければならない---

 
原発事故用のロボットの開発はそうした「危険な匂いのする」モノとして途中で打ち切られた。福島第一原発の事故の背景の一つは、電力会社も規制官庁もともに共有した「原発事故は起こってはならないものである」とする「最悪シナリオ」拒否症にあった。それでは平時からの備えはできない。

3・11によって、原発の「絶対安全神話」が崩壊したのと合わせて、戦後の日本の平和論の「安全・安心」神話もまた崩壊したのである。その神話崩壊のがれきの中から、新たな「国の形」の模索が始まるに違いない。そこでは、「最悪シナリオ」危機への備え、平時と有事のモードの切り替え、国を守り、国民を守る際の自助と自立の原則、リーダーシップの死活的重要性、「人間安全保障国家」という新たなビジョンの構築--などがこれからの課題として位置づけられることになるだろう。 

このうち「人間安全保障国家」(human security state)とは、戦争でも日常でもないグレーゾーンの致死性の極めて高いリスクを抑止し、回避し、減殺する危機管理体制と安全保障体制を国家レベルで確立する、そのような安全保障政策の必要性のことである。

冷戦の幕開けとともに、米国がソ連の脅威に対して国家安全保障法に基づき「国家安全保障国家(national security state)」を「国づくり」の骨格に据えたように、高リスク社会の日本の場合、「人間の安全保障」の確立を目的とする「人間安全保障国家」としての国家ビジョンが求められるだろう。

3・11モーメントは、国家の危機に際しての日米同盟の重要性を国民に痛切に感じさせ、そして、それにもまして、それを活用するためにも、自らを守る意思と能力が決定的に大切だということに気づかせた、点で歴史的分水嶺となるだろう。

その意思と能力のある国でなければ同盟の相手国はいざというときに支援はしないし、できないこと、そして、いざというときの日米間の調整メカニズムがいまなおきわめて不十分であり、新たな「調整メカニズム」の構築が急がれるということ、を国民は学習した。

3・11モーメントを振り返ると、自衛隊が水素爆発した後の原子炉を冷却させるための放水をあきらめて引き返した3月16日が、日本人がもっとも打ちのめされた日だったといってよい。翌日、3月17日に、自衛隊はついにヘリ放水を敢行した。その日を境に、国民の心に希望が点った。

この17日の放水について、菅直人首相は後日、周囲にこう語ったという。

「まず日本人がいのちをかけて危機に立ち向かい、それから米国に頼もうと思ったんだ。だから自衛隊に『命を賭けて出てください』と頼んだのだ」

市民運動の活動家から政治への一歩を踏み出したベトナム戦争世代の首相が到達したこの認識こそ、日本の「自立宣言」と日米同盟の次なる課題、そして日本の「人間安全保障国家」としての新たな地平を、おそらくは菅首相本人の認識をはるかに超えて、指し示しているのかもしれない。

3・11・モーメントは、長い、長い、日本の戦後がようやく終わったことをも告げている。

船橋洋一(慶応義塾大学特別招聘教授)


【コラム】「人間安全保障国家」ビジョン(1)

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