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【コラム】言葉、人格、国格=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.10.21 15:53
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かなり美しく、かなりやわらかい、かなり立派で…。若者が好んで使う「テゲ(かなり)」という言葉は「とても」という意味の副詞だが、本来はあることが手に負えない、生地に水気が少なく硬いという意味だ。語感はそんなに明るくない。美しい・やわらかい・立派だという言葉に合う修飾語ではない。「ウヨンチアンケ(偶然ではなく)」は普通「意外に」という意味で通じるが、その反対語である「ウヨンヒ(偶然に)」も「意外に」という意味を持つので当惑する。

会話にも“硬音”が氾濫している。そういう音を出すからといって言葉の意味がさらに強調されるわけではない。言葉が荒れれば情緒も索漠とする。入試戦争、税金爆弾、選挙戦、票心攻略、決死抗争…、全国が争いの場だ。さらに誕生日パーティーでも拳をぎゅっと握って「ファイト」と叫ぶ。けんかでもするつもりなのだろうか。

 
インターネットに飛び交う言葉は憂慮のレベルを大きく越えた。それでも政界で出てくる暴言や卑語、鬼胎・大魔王などの奇想天外な言葉よりはましなのかもしれない。憲法の免責特権は悪口・誹謗・嘘の不法免許のように汚れた。冷静な裁判官までも卑劣な言葉を使っている。公開法廷で高齢の被害者に「老いれば死ぬべき」と吐いた裁判長、大統領をしゃれで皮肉った判事もいる。「大恨民国」「家和萬事性」「死法部」のように意味を歪めて使った時事漫評も、若い世代に誤った認識を抱かせるおそれがある。青少年の言語習慣は国の未来と直結する。言葉が荒れるということは、言語共同体の品格と情緒がそうだという意味と変わらない。

ヴィトゲンシュタインは「言語は世界を映す鏡」と定義した。言語の混乱は精神世界の破綻を意味する。言葉はすなわち人格であり、国格だ。10月はハングルの日が入った月だ。世の中で最も美しい文字をよくない言葉、荒れた言葉、正しくない言葉を記録するのに使うことはできない。私たちの言葉には私たちの魂が込められているではないか。

イ・ウグン法務法人チュンジョン代表


【コラム】言葉、人格、国格=韓国(1)

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