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「民主主義のために血流す」 太極旗を持って独裁に対抗した4・19

2009.04.20 17:14
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1960年4月19日。 学生たちは朝から街を埋めていた。 全国各地で民主主義を守ろうという若者の叫び声が響いた。 大学生だけではない。 ソウル漢城女子中2生のチン・ヨンスクはその日、弥阿里(ミアリ)で1本の花として散った。 街に出る前、針仕事で学費を稼いでいた母に残した遺書の一言一言が読む人の胸を熱くした。 「いま私のすべての友人、そして大韓民国すべての学生はわが国の民主主義のために血を流します。 私はまだ何も分かっていません。 しかし国家と民族のための道がどういうものかは知っています。 私とすべての学友は死を覚悟して行くのです。 私は命を捧げて戦うつもりです。 死んでも悔いはありません。 民族の将来と民族の解放のために喜んでください。 すでに私の気持ちは街へ向いています」(京郷新聞60年4月30日付)

 
警武隊に突進したデモ隊の先頭に立った名前の知られていない男子学生(写真)も同じ気持ちだったはずだ。 消防車からの激しい水が学友を切り裂いたが、彼は決して手に持っていた太極旗(テグッキ、韓国の国旗)を離そうとしなかった。 学徒の若い胸は、国と民族を救って民主主義を守らなければならない、という使命感であふれていた。 心臓を狙って銃口が火を吐いたが、彼らは屈しなかった。 186人が死亡し6026人が負傷したその日は「血の火曜日」になった。 「学生たちの血に報いよう」という大学教授団の叫びに李承晩(イ・スンマン)大統領は下野を決心した。 12年の独裁は終焉を告げた。

命をかけて民主主義を守った国民は2つに分かれた民族の統一も成し遂げようとした。 「来なさい南へ! 行こう北へ! 会おう板門店(パンムンジョム)で!」。民主主義守護と民族統一。 4月革命は所望を一つも成し遂げられず夢に終わった。 学生の犠牲を踏んで「民主主義の黄金時代」を開いた第2共和国は5・16軍事クーデターで9カ月で終焉した。 厳密に言うと、4・19革命は政権を代えるのには成功したが、政治と社会構造を根元から変えるには失敗した未完の革命だった。

4月革命を率いた学生層は1950年代、民主・民族教育を滋養分として育った。 彼らは胸の奥に民族と民主を至高の価値として抱いた。 彼らは現実の独裁と教育を通して体に馴染んだ理想的自由民主主義の間の乖離を看破した。 民主主義を取り入れながらも実践できない李承晩は、息子オイディプスに殺されたテーベの王ライオスのように悲劇を書いてしまった。

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