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「金正男、定期的に会う韓国人の友人いる」(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.03.21 08:50
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--放蕩息子から北朝鮮資金管理担当といううわさまで、さまざまな声がある。

「表現方法が自由奔放だ。しかし限界がある。核開発と世襲政治に対して強い批判を堅持しながらも、やむを得ない内部事情を認めなければならないと言った。延坪島(ヨンピョンド)挑発も北朝鮮軍部の自己救済策と語った。全体的に論理的で北朝鮮の実状をよく把握している知的な印象を受けた。また一杯5万ウォンのウイスキーをロックで5杯ほど飲む酒豪だった。自ら女性遍歴が激しいと認めていた」

 
--中国は金正男を保護しているのか。

「2011年1月に北京のあるカフェで金正男に会った時、中国公安がウェイターを装って潜伏していた。(金正男は)握手をしながら私を‘ヒョン(兄さん)’と親しく呼んだが、汗を流しながら緊張しているようだった。インタビュー中にもスマートフォンでSNS(ソーシャルネットワークサービス)を常に確認し、返信していた。フェイスブックやツイッターに執着するところから、関係が断絶するのを不安に思う姿が見られた。韓国の友人が数人いると話し、定期的にマカオに来て食事をする韓国の事業家もいると聞いて驚いた。スイス国際学校で過ごした9年間の留学時代は幸せで、そのために朝鮮語よりもフランス語のほうが慣れていると話した。フランスにも家があり、いつかはそこで暮らしたいとも語った。それでフランス亡命説も出てきたのだろう」

--金正男は父(金正日)を擁護したと聞いたが。

「彼は時々、平壌(ピョンヤン)に行っても、父と会うことはできなかったと話した。時々(例えば誕生日)父から国際電話を受ける程度だったと話した。父の愛情を確認したかったようだ。手紙では『北朝鮮の指導者になるつもりはない』と強調したが、改革・開放を一貫して主張してきたのは父と党指導部に送るメッセージだった。軍部、明示はしてはいないが、李英浩(リ・ヨンホ)総参謀長らが父を腐敗したイメージに映らせるとして、軍幹部らに良い道を選択するよう言った。しかし私を通してメディアに自分の考えが報道され、北朝鮮の警告を受けてから、自嘲的な態度に変わった」

--喪が明けた後に出版してほしいということだった。

「政権交代の時期が過ぎれば歴史的に意味がないと判断した。国際社会の関心が彼を保護するはずで、イ・ハンヨン(脱北後に北朝鮮を批判し、97年に殺害された金正日の妻の甥)のようにはならないと確信している。平壌でも改革・開放のために金正男が必要だという意見が若い世代の間に広がっていると聞いた。これが敵対国の記者に答えた金正男の意図と考える」


「金正男、定期的に会う韓国人の友人いる」(1)

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