【噴水台】韓国のグリーンベルト受難史
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.09.19 15:15
机には朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領が描いた首都圏道路網のスケッチが置かれていた。朴大統領はスケッチの上に丸い帯を描きながら、建設部国土計画総合担当官に話した。「グリーンベルトがあるだろう、グリーンベルト。このように一度ぐるっと設けてほしい」。英国のグリーンベルトに関する報告を受け、韓国にも設定することを指示したのだ。1971年6月のことだった。グリーンベルト(開発制限区域)はこのように誕生した。最初のグリーンベルトが設定された時、主務部処だった建設部の太完善(テ・ワンソン)長官も相続したソウル南泰嶺(ナムテリョン)近隣の林野5000坪が開発制限に入ったが、何も言えなかったという。
グリーンベルトは77年まで8回にわたり全国に計5397平方キロメートルが指定された。現在のソウル面積の約9倍だ。その後、20年間ほどは少しも縮小されなかった。とはいえ全く手が付けられなかったわけではない。住宅の増改築を認め、学校・図書館・町役場を建設できるようにするなど規制が徐々に緩和された。選挙を控えた時期に見られる現象だった。
規制緩和でなく指定解除を初めてしたのは金大中(キム・デジュン)政権に入ってからだった。2000年に京畿道(キョンギド)始華(シファ)工業団地と慶尚南道(キョンサンナムド)昌原(チャンウォン)工業団地造成のために11平方キロメートルを解除したのが始まりだった。続いて「国民の財産権を保護し、保存価値がないところは解除する」という名目の下、2001年から3年間にグリーンベルト1256平方キロメートルが消えた。李明博(イ・ミョンバク)政権はソウルの住居価格上昇を抑えるとし、江南(カンナム)・瑞草(ソチョ)などでグリーンベルトを解除してマンションを建設した。