<ショートトラック>「韓国の太極旗→ロシアの三色旗→五輪旗」…数奇な運命のヴィクトル・アン(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.12.08 15:56
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ヴィクトル・アンは平昌五輪では妻ウ・ナリさんと娘のために競技に臨むという覚悟だ。(写真=ウ・ナリさんSNS)
3回目の五輪出場の道は開かれたが、「国家代表」としてのヴィクトル・アンの運命は数奇な道をたどっている。2006年トリノ五輪ショートトラックで金メダル3個(1000メートル、1500メートル、5000メートルリレー)、銅メダル1個(500メートル)を獲得して「ショートトラックの帝王」という異名を取った。それから4年後、最高級の実力には変わりなかったが、派閥争いと膝の故障が重なり、2010年バンクーバー五輪には出場がかなわなかった。弱り目にたたり目で所属チームの城南市(ソンナムシ)庁氷上チームが解体の憂き目に遭った。
ヴィクトル・アンは2011年にロシア行きを決心した。ヴィクトル・アンはロシア国籍を得ても韓国国籍を維持できるだろうと考えた。だが、韓国国籍法は二重国籍を認めなかった。ロシア市民権を得ながら韓国国籍を喪失した。ロシア氷上競技連盟は豊富な支援と引退後の進路保障まで約束した。そしてヴィクトル・アンは2014年ソチ五輪で金メダル3個(500メートル、1000メートル、5000メートルリレー)、銅メダル1個(1500メートル)を「新たな祖国」ロシアにもたらした。