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協議で葛藤を解消する信頼が消えたところが「ヘル朝鮮」に(3)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2016.09.06 13:50
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◆THAAD葛藤も事実に関する意見交換が必要

最近、韓国と中国の間で問題になったのは、言うまでもなく韓国へのTHAAD配備決定だ。THAADに関連して中国からいくつか不快感が伝えられてくるというのは報道されるが、我々はその写実的条件に対する詳しい意見交換があったというのは聞くことができない。不快感の伝達だけがあったとすれば、それは自ら考えてうまくやるべきだということを意味するのかもしれない。昔の韓中関係はそういうものだったのだろう。それが克服されたとすれば、THAADのような問題において、少なくとも韓国側はどうしてTHAAD配備が必要なのかという事情を説明し、中国はなぜこれに反対するのか、反対するのなら代案は何か、このような点をめぐり見解を伝え合いながら自分たちの観点を写実的に説得する過程があったはずだ。核心はTHAADでなく核・ミサイル開発の危険という全体の状況だ。しかしこれは討議の対象になっていない。これが正当なのだろうか。このような事情は国内の討議にも該当する。

 
すでに指摘した通り、事実の尊重は冷静な理性的接近があってこそ可能になる。別の一方で理性的な接近は問題の解決を追求することになり、結局はある理想的な状態を想定しないわけにはいかなくする。理想主義的な発想の脆弱性に対する指摘はよく聞くが、理想は問題解決の前提だ。そして人の心性の深くに入っている希望の表現でもある。さらに具体的に、今の時点で韓中、韓日中、韓日中米、また南北関係での理想は、韓半島(朝鮮半島)と地域と世界の平和の確保だ。非専門家である筆者としては、THAADの配備が最終的に韓半島での平和の確保に向けた最善の手段になるかどうかは分からない。しかしその問題に対する意見がさらに開かれた空間で交換され、それを動かしているものが事実と理性、そして地域の平和に対する責任意識というものを感じることができれば、その政治プロセスに対して我々はより自然な信頼を抱くことになるだろう。

これは国際関係を過度に単純化するものかもしれない。国家間の関係はまだ力の関係だ。しかし国内の政治や社会関係では葛藤と協議と合意が成り立つ公的空間を想定するのは、もう少し現実的なものといえるかもしれない。このように想定された空間での政治の動きは、利害と感情の干渉を超越するものであるべきだ。しかし今日の我々の政治で、個人的にも集団的にもそのような次元があると感じることができるだろうか。

我々に利害の戦略を越えて存在する純粋な人間関係の空間はますます狭まっているとみられる。そして我々の社会的な信頼と生活と世界に対する信頼は特別な決断によってのみ得られる。現実であれ理想であれ純粋な信頼が消えたところが地獄でありヘル朝鮮なのだろう。 (中央SUNDAY第495号)

キム・ウチャン高麗大名誉教授


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