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協議で葛藤を解消する信頼が消えたところが「ヘル朝鮮」に(2)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2016.09.06 13:44
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◆政治家が会うこと、計算があると解釈

自己中心的な戦略も結局は理性に戻ることで、その目的を達成することができる。不安や自己防御、そしてそのための戦術は、不安や他の否定的な感情を解消するにはまずその原因を見つけなければいけない。問題の解決は事実の理性的な検討を要求する。そしてそれは解決の持続を図ろうという理想を生むことになる。しかし不安、そしてそれに対する防御的な感情にとらわれた人にとって、すべてのものは戦術的に処理されなければならない対象となる。そして生活は心理戦の現場となる。

 
人が当然習得して練磨すべき技術として「社会的技術」という言葉が使われるのを見る。共に暮らす世界で人と人が会うのは自然な人間の関係であり、それはわずらわしいことでもあるが、楽しみの源泉でもある。しかし戦略の社会では人と人が会うということが技術になる。そしてそれは職業訓練を通じて習得されるという。そして人が会う時に自然な相互作用の一部分になる表現・表情と行為--笑みを浮かべ、厳粛な表情をつくり、握手してすること--が重要な戦略の一部となる。かつてよく言われた「感情労働」はこうした戦術化された人間関係をいう。

戦略的な考慮は事業をするところだけでなく政治でも役割をする。戦略的な世界観で見ると、ある政治家が他の政治家と会う、会わないというのは、いつも政治的な計算が入ると解釈される。会う時間が5分だったか25分だったかも、隠れた意図に対する解釈の資料となる。我々がこのような解釈に接するのはメディアを通じてだが、もう少し正常な社会--人のすることが戦略的な公演でなく写実的な内容を持つものとして受け入れられる時代--には、こういうものはほとんどニュースよりゴシップ欄で扱われるものだったはずだ。

公的な生活において公演技術が一定の場を占めるのは避けられないともいえる。しかし問題は戦略主義によって政治の重要な問題が見えなくなるということだ。政治は、さらに深刻な社会では、私的な利害関係または派閥的な利害関係より、さらに高い公的な問題--社会的生活が目指すべき目的とその実現の手段に関する問題--などがぶつかり、熟議されて決定される公的領域を形成する。しかし最近報道されている政治会合や談論でこのような高い公的関心を感じさせることは多くないと言わざるを得ない。

国家間の関係もこういうこと--表情の判断や戦略的交換--は重要な意思伝達の手段になるとみられる。国際会議場所で指導的な政治家の間に善意を表すあいさつの交換があったのか、呼称が親密さを感じさせるものだったのか、政治家の相互訪問があったのか、それが提案されたのか、提案されて取り消しになったのか、このようなことが詳しく報道されるのを見る。こういうものが注目されるのを見ると、国家間の問題が個人的な社交活動のレベルにあるような印象を受ける。もちろんそういう社会技術のジェスチャーが隠し持っているのは利害関係だ。国家間の関係が一定の安定を得ることができるのは伝統的に利害と力の対決または均衡だ。しかし今はこのような問題がもう少し写実的に、また理性的に議論される時点になったということはできないだろうか。少なくとも征服や戦争が暴力行使の名分になる時代は過ぎたからだ。 (中央SUNDAY第495号)


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