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「沖縄の慰霊碑に慰安婦被害者の名前を刻みたい」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.08.15 13:07
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9日午後、ソウル中学洞(チュンハクトン)旧日本大使館の前で開かれた第1295回水曜集会の参加者の中に日本人男性がいた。彼は集会中、学生と市民に向けてカメラのシャッターを押した。「おばあさん、愛してます」と叫ぶ少女たちを見ながら笑みを浮かべたりもした。行事が終わった後、旧日本軍慰安婦被害者の金福童(キム・ボクドン)さん(91)、李容洙(イ・ヨンス)さん(90)、吉元玉(キル・ウォンオク)さん(90)に会い、短くあいさつを交わした。

彼の名前は川満昭広さん(60)。「水曜集会について感想を書いてほしい」と言って記者が渡したノートに、彼は日本語でこのように書いた。「沖縄から来ました。水曜集会への参加は初めてです。少女像も初めて見ました。高校生の立派なメッセージを聞いて感動しました」。

川満さんは沖縄に住む出版関係者という。川満さんは「沖縄平和ネットワーク」という団体の代表も務めている。この団体は現在日本人およそ250人が自発的に集まって沖縄内で反戦運動、沖縄戦争遺跡保存活動などをしている。沖縄では第2次世界大戦中に米軍と日本軍の間で激しい交戦があり、約20万人が死亡した。

 
「私は沖縄から少し離れた宮古島で生まれました。高校を卒業してから戦争中に旧日本軍による住民虐殺があったという事実を知りました。本格的に関連運動に携わったのは1985年、出版社で働きながら『歩く・みる・考える沖縄』という本の出版に編集者として参加した時からです」

その後、沖縄平和ネットワークを組織して沖縄戦争問題を研究してきた川満さんは1989年に韓国人慰安婦被害者ペ・ボンギさん(1914-1991)の存在を知り、旧日本軍慰安婦問題に関心を持ったという。ペさんは1945年以前に慰安婦として沖縄に渡って住み始めたと、1975年に日本メディアに証言した。

「在日朝鮮人の朴壽南(パク・スナム)監督が1989年に『アリランのうた-オキナワからの証言』という映画を制作し、ペさんにインタビューをしました。私は映画を制作するための委員会に参加しましたが、慰安婦被害者との縁はその時が初めてです。その縁で1991年にペさんが亡くなった時には骨箱を運んだりもしました」。

川満さんはユン・ジョンオク韓国挺身隊問題対策協議会初代代表や在日沖縄研究者のホン・ユンシン氏が2008年に制作した宮古島のアリラン碑を見て慰安婦被害者に会ってみたいと思ったという。川満さんによると、沖縄には約140カ所の旧日本軍慰安所があった。

「その間、慰安婦被害者に映像だけで接してきました。水曜集会に必ず参加したいと思っていたが、その望みがかないました。3人の慰安婦被害者に会いましたが、最初からいろいろと話すのは難しいと考え、短くあいさつだけしました。今年また何度か韓国を訪問したいと思います」。川満さんは韓国と沖縄は悲劇的な歴史を共有していると語った。日本の植民支配を経て戦争の惨禍を経験し、多くの人々が犠牲になった。

「沖縄の平和記念公園には『平和の礎』があります。沖縄戦で犠牲になった人たちの名前を刻んだ慰霊碑です。ここには北朝鮮を含む朝鮮人の名前がありますが、すべて男性です。慰安婦被害者の名前はありません。平和の礎にその方たちの名前を刻んで、少女像と関連がある作品を作って設置したい」。

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