日本軍慰安婦出身のキム・スンドック氏が30日午後1時55分、急性脳出血で亡くなった。83歳。キム氏は、慶尚北道宜寧(キョンサンブクド・ウィリョン)出身で、17歳のとき「日本工場で働く女工を募集している」との話に騙され、連れて行かされた後、中国上海で約3年間にわたって、従軍慰安婦生活をした。
1992年7月、同じ被害女性らのための機関「分け合う家」に入所した後、12年間にわたって毎週水曜日、韓国の日本大使館前で行われる抗議デモに参加するなど、韓国内や海外で慰安婦の被害実態を知らせるのに率先してきた。「慰安婦生活で得た精神的な不安など多くの病気が私を苦しめている。日本人も悪いが、その手先の役割をした韓国人がさらに憎い。韓国政府も、われわれに補償を行うべきだ」。キム氏が、街や講壇をまわりながら語っていたものだ。
「分け合う家」関係者は「キム氏が遺言を残してはいないが、常に『韓国政府が挺身隊問題を主体的に解決しなければならない』と話していた」とし「キム氏の死が無駄になってはならない」と話した。キム氏は、95年から同僚の被害者女性らとともに、慰安婦問題を告発するための絵を描いていた。