【コラム】核を売る乙女、玄松月(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.02.06 11:49
「あの空にも悲しみが」。戦争孤児イ・ユンボクの日記に南側の同胞が涙を流した1960年代、北の同胞は児童劇「花を売る乙女」で革命意思を固めた。チョン・ビソクの『自由夫人』に心機一転した裕福な男女が「落ち葉についていってしまった愛」を歌ってステップを軽やかに踏む時、北朝鮮の住民は「千里馬運動」に献身した。未明の星を見ながら出ていく北の同胞の飢えを革命歌曲が満たした。戦士の背を強く押す力は音楽と美術から生まれるというのが社会主義芸術論だ。東北抗日連軍と朝鮮義勇軍は街頭演劇と集団歌唱で疲れた心身を癒やした。行軍し、休むところが即席舞台だ。その伝統が金日成(キム・イルソン)主席親子と孫の代につながり、いわゆる「音楽政治」の戦術的な意味が完成された。
先軍政治のバックコーラスである音楽政治遺伝子に触れたのは金正日(キム・ジョンイル)総書記の義弟、張成沢(チャン・ソンテク)だ。張成沢は音楽の素養がある金日成大学の青年を集めて「テクソン楽団」を設立した。このはつらつとした大胆な音楽バンドが政治犯収容所で慰問公演すると、金正日の怒りが爆発した。張成沢を除いてすべて処刑された。戦術に優れていた金正日は楽団を逆に活用する計画を立てた。才能がある若い美人で芸術団を作り、北朝鮮体制を美化宣伝することだ。旺載山(ワンジェサン)軽音楽団、普天堡(ボチョンボ)電子楽団が設立された。党幹部の宴会で喜び組として活躍し、年ごろになれば音楽政治という名分のもと国家行事に送り出した。2009年には李雪主(イ・ソルジュ)、玄松月(ヒョン・ソンウォル)が属する銀河水管弦楽団が設立された。