1969年にクーデターで執権したムアマル・カダフィ・リビア最高指導者は常に米国の悩みの種だった。 79年にリビア駐在の米大使館がデモ隊の攻撃で燃えた後、ロナルド・レーガン大統領はカダフィを‘狂犬’と呼んだ。 86年4月、米軍はトリポリの大統領官邸を空襲し、カダフィは愛する養女を失った。 2年後、270人の命を奪ったパンナム航空機爆破事件はその報復だった。リビアは続いてウラン濃縮を利用した核開発に着手した。 ジョージ・W・ブッシュ大統領が‘悪の枢軸’に指定しながらも、リビアを抜いたのはむしろ異変に近かった。
そのカダフィが態度を一変したのは2003年だった。 その年の12月、米国と大量破壊兵器の廃棄に電撃合意すると、翌年には正式に国交を結んだ。 力が増していたブッシュ行政府のネオコンは「イラク戦争を見守っていたカダフィが第2のフセインにならないか怖気づいて手をあげた」と自画自賛した。 実はそれ以前からカダフィは「革命後に維持してきた社会主義経済体制が効率的に作動していない」と自己批判した後、国際社会に扉を開こうとしていた。