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よみがえる「日本帝国陸軍」亡霊、陸上自衛隊のあきれる日報隠蔽(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.04.05 15:58
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#.4日午後3時30分、東京都練馬区にある陸上自衛隊朝霞駐屯地では特別な行事が開かれた。全国5個の方面に分かれている陸上自衛隊を一つにまとめて管轄する統合司令部「陸上総隊」新設の式典だ。小野寺五典防衛相と陸上自衛隊の幹部が出席した。

その間、海上自衛隊には「自衛艦隊」、航空自衛隊には「航空総隊」という統合司令部が存在したが、陸上自衛隊だけはそのような組織がなかった。過去に日本が軍国主義に向かう過程で日本陸軍が独自統帥権を行使して暴走したことに対する反省からだった。しかし安倍内閣は1954年の陸上自衛隊創設以降初めて中国の脅威などを口実に統合司令部の設置を容認した。陸上自衛隊としては慶事だった。

 
#.同日午後8時、小野寺防衛相が厳しい表情で記者の前に立った。「昨年3月27日に陸自研究本部課の外付けハードディスクで見つかった。日報の存在を知っていたにもかかわらず防衛相に報告していなかったことが確認された」。

小野寺防衛相が言う日報とは、小泉純一郎政権時代の2004-06年に国連平和維持軍(PKO)でイラクに派遣された陸上自衛隊の活動報告書(日報)だ。376日分、約1万4000ページという。

昨年2月、稲田朋美防衛相は国会で「イラク日報があるか」という質問に対し、「発見できなかった」と答えた。実際、当時はイラクではなく南スーダンPKOの日報が大きな問題だった。日報をめぐっては「自衛隊員が『戦闘』という表現を使ったというが、非戦闘地域に派遣された自衛隊員がなぜ『戦闘』という表現を使ったのか」という論争で日本全体が騒々しかった。結局、稲田防衛相が「廃棄した」と主張した「南スーダンPKO日報」の一部が公開され、稲田防衛相の退陣の原因になった。

ところが1年ほど過ぎた今月2日、小野寺防衛相が突然、「確認の結果、イラク日報は残っている」と発表し、新たな問題が浮上したのだ。2日の発表まで小野寺防衛相は陸上自衛隊が「イラク日報」を初めて発見したのは今年1月と話していた。しかし4日には「昨年3月27日に陸上自衛隊内部の研究本部(教育訓練本部)がこれを発見した」と述べた。陸上自衛隊が「イラクPKO日報」をすでに確認していたが、1年以上も報告せず、3月末にこれを小野寺防衛相に報告したということだ。独自の調査で関係者らは「当時は南スーダン日報を探すのに集中し、イラク日報まで報告する必要が感じられなかった」という理由を挙げたという。

陸上自衛隊のどのラインまでこの事実を知っていたかはまだ明らかになっていないが、ひとまず防衛相と副大臣、政務官など防衛省を指揮する「政務3役」には一切報告されなかったと確認された。

日本のメディアと野党は「軍(日本の場合は自衛隊)は政府の指揮と統率に従うという、いわゆる『文民統制システム(シビリアンコントロール)』がまともに作動していないのでは」「文民統制に赤信号がついた」という懸念が出ている。

「制服組」と呼ばれる陸上自衛隊の幹部が「背広組」と呼ばれる民間人指揮部を締め出して組織的に隠した可能性まで提起されている。創設64年目に実現した統合司令部新設と日報隠蔽疑惑、陸上自衛隊ではわずか数時間の間に天国と地獄を行き来した。


よみがえる「日本帝国陸軍」亡霊、陸上自衛隊のあきれる日報隠蔽(2)

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