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【コラム】私たちには「適当」な責任があります=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.07.15 16:18
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しかしこれと逆のケースもある。自分の責任でない時でもすべての問題の原因を自分に向けて自虐する場合だ。こうした症状を神経症というが、常に他人の視線を気にして不安になる。例えば、外国のバイヤーと一緒に飲食店に入って料理を注文したが、料理が出てくるのが遅くなるとそわそわし、バイヤーに繰り返し謝罪する。実際、料理が遅いのは店の問題であり、本人の過ちではない。それでも自分のために他の人たちが不幸になると考え、責任を負わなくてもよい部分まで責任を負おうとする。

実際、私も教授に任用されて初めて米国の大学の教壇に立った時、学生たちの反応に非常に敏感だった。学生の反応がよくなかったり授業態度がよくなければ、それがすべて自分の問題だという気がした。おかげで講義をもう少し上手くしようと努力したが、ある瞬間、私がいくら努力をしてもついてきてくれない学生もいるという事実を知った。あらかじめ読んでくるべき教材を読んでこない学生、何度かチャンスを与えても課題をしない学生、無断欠席を繰り返す学生もいた。このようなケースまですべて自分の責任にして自らを苦しめるのは正しくないという事実を悟った。

 
私たちには「適当」な責任がある。先に話したドイツ人のように、すべての問題の原因を他人のせいにするのも問題であり、逆に本人の責任でないことまで自分のせいにして自虐するのも問題だ。精神的に健康な生活を送るためには、自分が選択したことに対する結果の責任を回避せず、自らをまず省みる努力が必要だ。しかし場合によっては、相手が責任をすべて自分に押し付けようとする時、境界線を明確に引いて「それはあなたの責任だ」と話すこともできなければいけない。一方に偏り過ぎない均衡点をうまく探して、賢い生活を送ることを祈る。

恵敏(ヘミン)僧侶


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