小寒の寒さが厳しい。 「大寒さんが小寒さんの家に行って、こごえ死ぬ」という昔の話が再び実感できる。 大寒さんは誰で、また小寒さんは誰だろう。 漢字を知らなければ、理解しがたい言葉だ。 大寒、つまり最も厳しいはずの寒さのときより、小寒、小さな寒さとされる節気が最も寒い、という祖先の知恵がにじんでいる。 漢字語を借りず、固有の言葉だけでは不便で、不足なのが韓国語の運命だ。
もちろん、行きすぎた場合も多い。 英韓辞書が、その代表的な例だ。 相応する固有の言葉があるにもかかわらず、敢えて難しい漢字を使う。「ナム」と移せば済む「other」を「他人(タイン)」とし、「ビョルトン」というきれいな言葉の代わりに「流星(ユソン)」という難しい言葉を固守する。 日本の辞書の影響で、和風の漢字語が韓国のものであるかのように使われてきた、というのが大方の専門家の見方だ。 1910年の韓日併合以降、植民地になった朝鮮(チョソン、1392~1910)の言葉と文が行き抜いたトンネルは、こうして抜け出しがたいほど厳しく、深く、大きかった。 ややもすれば失うところだった韓国語を守り、育てた、ウェソル・崔鉉培(チェ・ヒョンベ)先生の『ウリマルボン(韓国語本)』に日本製漢字語が出てこざるを得ないのが、ここ100年にわたる韓国人の言語慣習の現実である。