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【コラム】安倍首相、北東アジアの“レアルポリティーク”を振り返るべき(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2014.02.03 16:17
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ドイツ統一を成し遂げたオットー・フォン・ビスマルク首相(1815-1898)はよく「鉄血宰相」と呼ばれる。1862年9月の演説のためだ。当時プロイセンの首相兼外相に任命されたビスマルクが引き受けた最初の任務は、軍事費増額に反対する議会を説得することだった。このため予算小委に出席し、「プロイセンの地位は自由主義ではなく力で決定される。…時代的課題(統一)は演説と表決ではなく、鉄と血(Eisen und Blut)で実現できる」という演説をした。

ビスマルクは軍備増強と3度の戦争勝利で統一を実現したと評価される。1863年にデンマークとしたシュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争、1866年のプロイセン・オーストリア戦争、1870-71年のプロイセン・フランス戦争がそれだ。力を重視する人たちは、かつてナポレオンのフランスなど強大国に抑え込まれた国が富国強兵で逆転した歴史的事例として興奮する。

 
しかし多くの歴史家はこれに関し、一面だけを見たものだと指摘する。英国出身の米国歴史学者ポール・ケネディが代表的な人物だ。実際、ビスマルクは老練な外交官であり、力を誇示せず、ひたすら国益のために必要な時だけ限定的に適切に活用したにすぎないということだ。特に、1866年7月3日にオーストリア軍を今のチェコ北部ケーニヒグレーツで壊滅させた後に見せた冷静な姿勢をその証拠の一つとして提示した。プロイセン軍の首脳部は直ちにオーストリアの首都ウィーンを占領しようと主張したが、ビスマルクは相手国に屈辱を与えるべきではないとして首を横に振った。戦争の目的は、オーストリアを排除してプロイセン主導のドイツ統一を実現することであり、軍事力の誇示や侮辱ではないということだ。強大国のフランスやロシアを刺激し、軍事介入をあおる懸念もあった。(中央SUNDAY第360号)


【コラム】安倍首相、北東アジアの“レアルポリティーク”を振り返るべき(2)

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