【時論】韓米防衛条約を引き出した反共捕虜の釈放(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.06.25 15:44
しかし李承晩は韓米相互防衛条約の問題を大韓民国の生存レベルで接近した。韓国の安全保障が担保されない休戦は死を覚悟するものとして扱ったのだ。休戦に入れば言葉だけで騒いだ韓米相互防衛条約締結問題は急激に動力が落ちると李承晩は考えた。
それで李承晩は休戦調印が予想された53年6月18日、電撃的に反共捕虜の釈放を断行した。李承晩の反共捕虜釈放は、休戦を待ち望んでいた連合国側やスターリンの死でうつむいていた共産側の双方にとって青天の霹靂のような便りだった。この事件を通じて李承晩を「北進統一のためには何でもする予測不可能の人物」と分析したのだ。この事件で李承晩には大きな交渉力が生じた。反共捕虜釈放の2日後、李承晩はクラーク国連軍総司令官に送った手紙で、「この件で米国が韓国を離れるというのなら離れてもよい」と伝えた。しかし「韓国を共産主義者に譲ることは控えるべき」とし、逆に反共捕虜釈放の責任を米国に押し付けた。ついに中共代表の伍修権は敵国の米国と力を合わせて李承晩を孤立させるべきだという冗談まで言った。