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【時視各角】安京煥氏よりチョ国首席秘書官が問題だ=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.06.19 13:16
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安京煥(アン・ギョンファン)氏をめぐる問題は本人の辞退で一段落した。青瓦台(チョンワデ、大統領府)としてはそうではない。安京煥問題以前と以後に文在寅(ムン・ジェイン)政権に対する国民の信頼に変化が起きている。青瓦台の実力と真実に対する疑問だ。しかし執権勢力は安京煥問題をありがたく考えるのが良いだろう。小さい故障から大きな教訓を得なければならない。

安京煥問題で青瓦台は最初に不利な情報は目を背け(情報失敗)、2番目に希望的判断に依存し(集団思考)、3番目に無責任な尻尾切り(責任回避)という弱点を露出した。これが大きくなれば大型惨事につながる。法務部長官候補者としての安京煥氏の致命性は20代の時の婚姻無効訴訟にあった。安氏のソウル大学法学部1966年入学同期生によると彼は女性と別れ、彼女の将来のために婚姻の痕跡を消してあげることを決心する。文学的には若きウェルテルの激情的な愛と懺悔と理解できる。問題は実定法上発覚すれば厳重な、離婚ロンダリングが疑われる婚姻無効訴訟に参加した事実だ。結果的に法を軽んじた行為だ。

 
政治的に2000人余りの検事組織を改革し法治政府の厳正さを示して国らしい国の骨組みを立てなければならない文在寅政権の法務部長官候補には容認しにくい履歴だ。当事者は彼の本『男とは何か』で「学者が政治に乗り出せば成功はなく終末があるだけ」と語ったが、実際に自分のことになれば異なる言葉を言うのが普通の人間の姿だ。

こうした時を前後して内情を確認し、問い詰めるべきは問い詰め、だめなものはだめと整理するのが青瓦台参謀陣、その中でも民情首席秘書官の仕事だ。チョ国(チョ・グク)民情首席秘書官が安京煥問題に対しそうした冷静な判断をしたのか、文在寅大統領にその情報をしっかり報告して判断を求めたのか疑問だ。チョ首席秘書官はむしろ婚姻訴訟ストーリーを70年代の家父長文化で離婚した女性を保護するための騎士道的行動だと好意的に理解したのではないか気になる。

安京煥氏が明らかにした通り、この問題は2006年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で彼が国家人権委員長になる時に議論された事案だ。その上チョ・グク首席秘書官は安京煥氏と2002年から同じ大学の同僚教授として勤めてきたソウル大学法学部の先輩と後輩の仲だ。国会に正式に提出された人事聴聞資料にも安京煥氏が20代の時に妻との婚姻無効判決を受けたという内容がそっくりそのまま出てくる。チョ秘書官が安京煥氏の婚姻無効ストーリーを事前に知っていただろうという推論はこのため合理的だ。

だが、民情首席室は昨夜参考資料というものを出し、「チョ首席秘書官がこの事実をまったく知らず、安氏が離婚したものと承知していた」と釈明した。苦しく見える。知っていたとすれば事案の重要性を軽視したもの、知らなかったとするなら無能だったという自白にすぎない。いずれの場合であれ情報評価や把握に失敗したわけだ。

2004年の盧武鉉弾劾審判当時に弁護団代表を務めた文在寅氏を安京煥氏が支援したことなど両者の長く深い縁を大切に考えたチョ首席秘書官が安氏に対し反対意見を出せなかった可能性がある。「進歩改革的さえすればよい」という仲間同士で通じる集団思考に陥り、そこから少し抜け出ただけでも簡単に予想される否定的シナリオを点検できなかったのではないのか。

青瓦台が安京煥氏を防御できなくなり、「決定的な過誤が出てくれば指名を撤回することもある」としたのも責任を回避するための尻尾切りではないか。情報と判断、責任感覚を鋭敏に整えなければチョ首席秘書官は今後他の懸案に対しても同じ失敗を繰り返りかねない。

論語に「有徳者必有言、有言者不必有徳」という言葉が出る。徳がある人は必ず正しい話をするが、正しい話をするからと必ずしも徳がある人ではないという意味だ。チョ首席秘書官は青瓦台に行く前に正しい話をよくした。ところが青瓦台では正しい言葉だけでは足りない。人格からにじみ出る言行一致があってこそ国民の信頼を得ることができる。

チョン・ヨンギ/中央日報コラムニスト

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